大事な話をしたくても、ほとんどの人は忙しすぎる。

仕事をしている知人たちとは、大切なことをじっくり話し合うだけの時間が取れない。関係が維持できないし、彼らの進路について考えるにも、肝腎なところで決定的な戦略ミスをする。 忙殺されたままで、過剰流動性に投げ込まれている
それは結果的に、個人だけでなく全体としてもロスではないのか。
忙しい時間を無理に割かせようとするのは、これほど政治的な振る舞いもない。そしておそらく、そういう決意こそが必要なのだ。▼ひきこもり系の人は、すぐに先取りして我慢してしまう。それの度が過ぎて、けっきょく最悪の迷惑をかける。私たちに必要なのは、順応的勤勉さではなくて政治的なディテールを持った勤勉さで、それができないことのなれの果てが「ひきこもり」ではないのか。
順応的であることのルーズさの部分に政治があって、ひきこもる人はそのルーズさの部分を確保することができず、それゆえ政治ができず、それゆえ社会生活そのものが破綻しているように見える。精神に遊びがない。