《差異のゲーム》――対象と欲望の「オリジナリティ」

自分が生きることに成功している欲望を「これはオリジナルだ」と言う必要はないが(歩ける人が、「これはオリジナルの歩き方」と言うようなもの)、「オリジナルに欲望できている」という自意識こそが欲望されるケースがある。 ▼「このようにオリジナルだから、あなたにとっても欲望する価値がある」という誘い。 しかし、欲望そのものをオリジナルであると主張することは、それ自体が差異のゲームの枠内にある。 【欲望対象の差異化から、欲望枠そのものの差異化へ。】 差異のゲームそのものに倦み果てれば、それもどうでもよくなる。
問題は、「それ以後」の話。 差異のゲームではない欲望があり得るか否か。――ただ、「差異のゲーム」で欲望を生き延びられるなら、ひきこもり支援としてはそれも選択肢の一つであるのは当然のこと。 再帰的自意識によって差異のゲームにシラケたあとで――そういうメタ認識の競い合い(「相手よりメタ」)に倦み果てた後で――どんな熱中があり得るか。
私はそこで、「欲動」「反復強迫」の話を始めている。