「ひきこもりは、あまりにも強迫的に逸脱を嫌おうとするがゆえに、逆に極端に逸脱してしまう」というジレンマ(逆説)から、石原慎太郎『三島由紀夫の日蝕』(p.31〜4)に紹介されている、次のようなエピソードを思い出した*1。
石原慎太郎が三島由紀夫と話しているとき、「川端さんの小説で最も好きなものは何か」という話になった。
石原が『みずうみ』と答えると、三島は「顔色を変えて」怒り出した。
「君、何をいうんだ、あんなものは破綻している。あんなどろどろして不明確な作品はない、あんなものは失敗作だよ」
いい放った。
「破綻しているからいいんですよ、どろどろしていてどうしていけないんです。人間なんてそんなものじゃないの」
私がいうと、
「それをそのまま書いたんじゃ作家の芸なんぞありゃしない」
氏は軽蔑するようにいった。
後日、石原が川端康成と同席した際、このときの話になった。
・・・・私は、最近三島氏と川端氏の作品のどれが好きかという話をしたと告げた。
「三島君は何といっていました」
「千羽鶴 (新潮文庫)、といっていましたね」
「ああ、そうでしょうね。で、あなたは」
氏は笑顔ながらいつもそれだけは笑わぬあの目で見詰めていった。
「それで三島さんと喧嘩したんです。それより、川端さんご自身は、最近のもので自分で好きな作品はどれですか」
「そうですね、読まれたかどうか、私は『みずうみ』が好きです」
言下に氏はいった。 私は笑いだし、
「実は私もそういったんです」
「そしたら」
「あんなもの破綻していて、どろどろし過ぎていて駄目だって。だからいいのじゃないかと僕はいったんですが、極めてご不興でした」
いうと川端氏呵々と笑って、
「ああ、それはそうでしょう、あれは三島君には駄目ですよ、あの人には駄目です」
いった。
それからまた間もなく三島氏と会った時、何よりも先に先日の川端氏との話を取り次いだ。
「でね、僕がいう前にこちらから聞いたんですよ、ご自身では何がお好きですかって。『みずうみ』っていいましたよ」
私が覗きこんでいうと三島氏は唇をへの字に結びそれきり何もいわなかった。
*1:以下、引用ブロック内は同書からの引用。