「非社会」と精神主義

 不安を煽るようなVTRの後で、「それではどうしたらよいか」というトピックに入ると、発言者たちは自分の「いっしょうけんめい」を披露します。制作側は彼らの語りに続けて、美談エピソードをはめ込みます。そして、この傑出した人たちのように「いっしょうけんめい」子どもたちに接すれば事態はよくなる、というお手本のメッセージが放たれます。(p.148-9)

「気合」「一生懸命」といったイマジネールなロジック(想像的篭絡)は、「非社会」系の当事者周辺では宿痾(しゅくあ)のようなものだと思う。これについては、原理的に再考察する必要を感じている。▼社会関係を維持しようとするときに、私自身がすぐにこうした陥穽に落ち込むのだ・・・。