≪「生き生き」をめぐって≫
- 仲正氏の「生き生き」批判は僕にとってどうしても必要なものだったが、『諸君!』は読んでいないし、事情がまだよく見えていない。 【追記:「双風舎からのお知らせ」】
先日触れたとおり、僕が「生き生き」に辟易するのは主にフリースクール系の文脈だが、かといってそのような「生き生き」言説の需要が尽きたわけではない。
この事件では、どうやら「どうしても学校に行かせなければならない」という親の切迫感が悪く作用したように読める。だとすれば、一時的にでも「不登校は選択するもの」という説得が必要かもしれない。
最近の不況と「ニート・ひきこもり」といった現象、若年者の就労不安などから、子供を抱える親たちの「脱落不安」が、以前より高まっている気配はないだろうか。価値規範としていくら「閉じこもっていてもいい」と言っても、現実にそれが「優勝劣敗社会の中での野垂れ死に」をしか意味しないとしたら、「大丈夫ですよ」は気休めにもならない…。*1
「生き生き」がどのように必要でどのように批判されるべきかは、個別ケースごとに是々非々で判断してゆくしかないのではないか。何よりも、そうした言説の歴史的位置付けに敏感であるべきではないか*2。 【主に、不登校・ひきこもり業界内に向けたメッセージ】