私信より

友人たちへのメールの一部を修正し、ここに転載して途中経過の報告とする。

 「格差社会」や「エリート」については、以下のようなものを参照 しつつ考えていました。

 「貴族/大衆」と、「勝ち組/負け組」の図式の交錯が難しい。 「大衆的勝ち組」(自分のことを疑わない富裕層)もいるし、「貴族的負け組」(自己懐疑的な貧困層)もいる。
 そこに、「ひきこもり」の自意識(「我こそエリートだ」と「自分は最低だ」の両極往復)と、社会存在としての実状(経済的には庇護されているが政治的には最底辺)、という軸がさらに交錯。


 「○○である自分をありのままに肯定する」という俗物根性(大衆的意識)と、「自分を肯定できる者こそが貴族だ」という エリート意識。この結合こそがまさにナチズムの温床になった。


 「諦めきった素朴なゲーマー」たる一般市民の嫉妬やルサンチマンに訴える、「憂さ晴らしエンタテインメント」である『そこまで言って委員会』ニート糾弾の差別ゲームだけでなく、天下りや税金無駄遣いなども扱い、すべて「正義」の体裁を持つ。
 絶望し、社会設計の大局的なビジョンを描けない人間(「努力してもどうせ変わらない」)は、自分の鬱憤を「悪いことをする個人」に投げつける。