震災について何を語ろうとしても精神的にやばくなる。 家族は無事だったのに。
あの≪非日常≫について、経験していない人に語っても理解されないのではないか。
何だったのかあの開放感は。 そしてそれが傷になってる。


心理的と経済的。重い人と軽い人。 けっきょく弱者論は同じ構造になる。
「ひきこもりも震災になれば出てきて働くんでしょ」という声もあった。 ≪非日常≫ゆえの心理や対人関係の事情がまるで理解されない。 要するに何を語っても誤解される。


これも僕の原体験のつもりなのだが、ちっともうまく考えられない。
何をどう考えればいいのだろう。