「おっぱいとおちんちんの自己責任論」*2

今日、NHK福祉ネットワークという番組で(最近の私はテレビっ子だ!)「ED(勃起障害)」について取り上げていました。 女性の側から見ていて、決して男性だけの問題ではないのだと感じました。 男性が「勃たない」とか「いけない」のは女性にとってもとっても切ないものです。 1,2回ならまだしも、それが続くとなれば心中穏やかではいられません。 「入れるだけがセックスじゃないわ」とか「寄り添っているだけでいいの」なんてあたたかい言葉を言い続けることは、少なくとも私にはムリです。 これは欲求不満になるとかそういう話ではなく、男性にとってもそうだとは思いますが、女性にとっても尊厳にかかわる問題だからです。
乳房同様、おちんちんも男性のものであり、かつ、女性のものでもあると思うのです。


つまり、重要なのは「あいだ」です。 男とか、女っていうのがそれぞれ独立(孤立)して存在しているのではなく、交わっている部分がある。 乳房もおちんちんも二人のものであるからこそ、そのあり方については二人で決定し、二人で責任を負う。 自分の身体は自分のものである、だからどのように扱ってもよい、という話ではないと思うのです。 乳がんやEDである自分のことを気遣ってくれる他者がいるからこそ、その気遣ってくれる他者のことを気遣わなければならないのです。 熊八が別のエントリーのコメントで「共感」(同感?)ということについて語っていましたが、今ここで述べた「気遣い」と「気遣いに対する気遣い」こそが「共感」だと思うのです。



この話、拒食症や茨城の家族殺人事件にも絡み、含蓄が深すぎる。
いずれ丁寧に考えてみたい。