「怠慢というテロ」?

 ネオコンの政策的主張とは、一口にいえば、「社会政策的な遂行」よりも「法的意志の貫徹」*1を圧倒的に優先させるネオリベ的な内政図式を、国外にも投射したものです。ここに、ネオコンの大きな特徴があるんですね。イギリスやアメリカの中東政策史が蓄積してきたルサンチマン再分配的に手当てしようじゃないか、という常識的発想を全面的に否定し、ルサンチマンに基づく武装闘争を圧倒的武力で叩きのめそうとするわけです。



「中東 ←→ 英米」のようなわかりやすい対立図式は国内の 「被排除層 ←→ 既得権益層」 にはないし、被排除層には(ルサンチマンはあっても)「明確な敵のせいで自分は苦しんでいる」という意識はない*2(むしろ自分を責めている)。  → 被排除は「構造的帰結」ではなく、「彼らの主観的信条(怠慢原理主義?)」によるものとされる。


追い詰められた被排除層が、末期の叫びのようにして暴発すれば、「既得権益層に恨みをもつ原理主義者だ!」となる。 → 再配分や社会的施策による対応ではなく、「彼らを追い詰めろ!」になる。 「どうして、怠慢原理主義のためにわれわれの血税が使われねばならないのか?」 「改心しろ、さもなくば死ね!」







*1:「逸脱や犯罪を絶対に許さないぞという意志を統治権力が示すことで、それによって社会成員の被害感情の表出を肩代わりし、威嚇効果によって再発抑止をも図る」こと。 【こちらより】

*2:イジメなど、加害者が明確なケースは除く。 ただしイジメでさえも、「あのとき反撃しなかった自分が悪い」などと自分を責める人もいる。