学問的評価 と 経済的評価

id:Ririka さんは大学の研究について、「仕事の価値」と「報酬(研究費)」の関係を問題にしているが、難しいのは、「収益につながる研究」イコール「価値のある研究」なのか、ということだ。いちばん極端なのは純粋数学や人文系の研究だと思うが、工学系にさえもこの葛藤はあるのではないか。
企業利益や軍事技術に直結するような基礎研究にばかり予算が与えられ、その予算の割り振りを通じて市場動向*1や政治意思が研究方針を決定してしまうわけだが、「これでいいのか」とか。
これは最近、「国立大学の独立行政法人化」の問題として、日本で徹底的に議論された。「教育・研究の現場にも競争原理を」「いや、大学は本来的に社会の不採算部門であるべきだ」云々。市場原理が導入されてしまえば、教育・研究自体がポピュリズム大衆迎合主義)に陥って、本来的な使命を果たせないではないか、というわけか。
うーん・・・・。よくわからん。


医学・生理学でノーベル賞をとった利根川進氏は、たしか「研究費がケタ違いだから」アメリカに渡った、とどこかで語っていて、こんな文章を書いていらっしゃる。
ハーバード大学は私立*2」というのだが、たしか大学自体がNPO団体ではなかったろうか。日本ではNPO法が平成10年に施行され、昨年も改正されたが、個人や企業がNPO法人に寄付をしても税制上優遇されない(というかかえって損をする)ため、寄付金がぜんぜん集まっていない。いっぽうアメリカではNPO法人への寄付がたいへんな税免除につながるため、富裕層はこぞって寄付をするという(寄付先を検討する専門職があったりする)。日本とアメリカの大学事情の違いには、そんな話も関係しているはず。


「研究者の誰が報酬と研究費を勝ち取るのか」というのは、「大学における意思決定」という問題であって、経済や法律の事情もからんだ、とても政治的なテーマだと思う。
そもそも、「研究や教育に携わってもお金が自由にならない」となれば、優秀な人材はどんどん流出してしまうのではないでしょうか・・・・。



*1:「産学協同」というのは全共闘世代にとっては罵倒語だったはずですが、今ではむしろ積極的なスローガンですよね。

*2:ハーバードだけで「1兆5千億円の資産があり、毎年数百億円の資金が国から出ている」というのはすごいな。