政治

  • 国際政治は、「誰が制度の他者か」というバトルなんでしょうか。*1
    • 「≪世界を覆い尽くそうとする資本主義≫vs≪イスラム≫」という構図解説をたまに耳にするんですが、どこまで信じていいのやら。


  • 日の丸・君が代問題で教職員が処分された。
    • 僕はこの話、「文化的忠誠」の話と「行政登録」の話をゴッチャにしていると思うのだが。行政登録上「日本人である」ことは、イコール「日の丸・天皇を信仰する」ことを意味しないはず。
    • 僕は日本食や和室が好きだが、それが「信仰か」と言われるととまどう。ましてや「日本人なら信仰しろ」は暴力としか思えない。
    • 「日本が侵略(攻撃)を受けたらどうするのか」というのも、工学的なセキュリティのイメージで考える。「愛国心」「日本人なら」みたいな「降りるなゲーム」は、動員スキームとして今でも有効なんだろうか。
    • サッカーのワールドカップやオリンピックを観ていると、やはりいつの間にか日本を応援している。でもそれは、高校野球でなんとなく自分のいる県の学校を応援するのと変わらない。
    • 僕は関西に住んでいるが、「関西人なら阪神タイガースを応援するのが当たり前やろ」と絡んでくる連中にはウンザリ。
    • 完全に社会から排除されていた個人が、「天皇陛下万歳」で「内側」に入れる、という事情もあるんだろうか。
    • 拉致事件や人質事件に関連して、20代の人が「非国民」という言葉を当たり前に使うのをネットやオフラインで何度か目撃した。これって少数派なんだろうか。それとも大きなトレンドなんだろうか。ものすごく不穏なものを感じる。


  • イラク開戦以来の米兵死者は600人を越えた(!)というが、そのニュースよりも「日本人の人質が3人」という方が僕らはショックを受ける。
    • ジジェクの「社会的想像界」という言葉を思い出す。人質問題にはもちろんいろんな要因があって難しいのだが、「私たちと同じ日本人が」という感情移入的要因は無視できない。「外側」のアメリカ人が何人死んでも大丈夫だが、「内側」の日本人が人質になるのは耐えられない、という事実。
    • 同じ事情は、他のいろいろな社会問題や、あるいはもっと個人レベルの話にも言えるかも。TVのニュースで赤の他人の殺人事件を聞いても大丈夫だが、身近な人間が事故で重傷を負えば耐えられない。客観的事実として「死んでいるほうが重大だろう」という説得は、コンスタティヴには正しくとも、パフォーマティヴには無力だ。
    • そういう感情面での事情とは別に、やはり「客観的な」、いわば行政登録レベルの理解も必要だと感じる。それは「公私を分けて考える」ということだろうか。あるいは、「自分を相対視する」ことだろうか。政治家や公人に要求されるのはそういう姿勢だろうか。いや、でも「代表する」(represent)という要因もあって・・・・。(混乱)




*1:波状言論」の北田鼎談でもそういう話題が出てましたね。ところで北田暁大さんははてなダイアラーでした(id:gyodaikt)。失礼しました。