言語作業療法?

 引き続き原稿を推敲中。短いものなのだが、難しい。


 友人からのメールで、今度「作業療法学 Occupational Therapy」というのを専攻することになったとのこと。
 僕が「言葉を使って努力してみる」とか「外国語学習に意義はないか」とか言っているのは、いわば「言語作業療法」にあたるのか?とか考えた。
 もちろん歴史的には「Talking Cure」と呼ばれた精神分析が有名で、僕の言っていることにも明らかに関係があるのだが、技法としてもう少し広く考えているということか。
 大事なのは各人が自分の欲望の道を進み始めるということで、「療法」といっても「自分の道を進めるように」というぐらいの意味でしかない。(精神分析面接を受けて執筆や社会活動に向かえるようになったジョルジュ・バタイユを思い出す。)


 そう、僕の気になる友人はアントナン・アルトーを徹底的に研究しているんだが、僕のアルトー観は「我が道を歩んだ人」というぐらいの貧しいものでしかない。僕がこの友人から受ける示唆的な刺激に、アルトーは関係あるんだろうか。とても気になる。