• これは、2012年8月27日まで、プロフィールページに掲載していた文章です。


 『論点ひきこもり』というタイトルとその趣旨を、最初の著書(2001年)の刊行直後から考え続けています(参照)。

 ひきこもりは、至近距離の関係性においても、また本人自身にとっても、硬直した論点として経験されている。
 一人ひとりが「政治的論点」であり、物騒な要因として取り扱い注意であるが(本人自身にとっても)、逆にいえば、この論点への批評的着手が、そのまま臨床的・政治的な取り組みになっている。 学問的・政策的なメタ目線から「対象化」するだけでは、語る自分がこの論点を硬直させる共犯者になっていることに気づかない。
 ひきこもる本人自身が、自分への「モノ化」を受け入れることでしか居場所を確保できない。 いつの間にか社会のメタ目線を模倣し、自分を監禁してしまう。――これは、ひきこもる意識が硬直するメカニズムそのものとなっている。 「論点ひきこもり」という表現は、いわば《症候的に》必要とされた。 身体性と癒着し、解離したメタ言説の直接性に抵抗し、みずからを紛争として間接化=素材化している。 これは、ひきこもりの状態像を交渉の実存として生き直すことでもある。

 ひきこもりは、社会化されようとする言葉の生が落ち込んだ状態像といえる。――こうした考え方は、その後「制度を使った方法論」に合流しています(参照)。