殺意の対象としての非社会

ネット上で何度見たか分からない、一般のかたのにこやかな声。

 「ひきこもりやニートには、殺意に近い嫌悪感がありますね」



塩倉裕引きこもる若者たち (朝日文庫)』p.34より

 家族教室は、相談に来た親たちのうち何人かに声をかけ、定期的に集まる方式で始まった。(中略)
 ある日の「教室」には、六人の親たちが参加して、語り合っていた。(中略)
 「動き出すまでに一体、何年かかるのか。 いっそ交通事故で死んでくれたら、と思ってしまったこともあります」という発言には、数人の親が黙ってうなずいた。 その声を追いかけるように、「私だって、何度殺そうと思ったか……」という重い告白が続く。



兄が引きこもり、リアルで氏んでほしい

95 :(-_-)さん :2005/11/20(日) 07:48:15 ID:0ARI2cg2O
  ウチにも引きこもりいる
  いっそのこと自殺でもしてくれってみんな思ってる
  家族だから暖かくしろって身近に引きこもりが居ない
  人のきれいごとだと思う



「殺意を抱いている側が悪い」と、単に言えるだろうか。
「ひきこもるしかできなかった側が悪い」と、単に言えるだろうか。





書評:「宮崎学『法と掟と』」(柄谷行人氏)

法と掟と―頼りにできるのは、「俺」と「俺たち」だけだ!

法と掟と―頼りにできるのは、「俺」と「俺たち」だけだ!

「個別社会と全体社会」という枠組みが、最近ものを考える上での準拠点になっています。





「ニートは扶養控除外 自民が検討」 【はてブ】

id:qushanxin さんのご意見もすごく参考になったが、コメント欄にある「sigz」というかたの発言が異様に鋭い。 全文熟読したが、気になるところをピックアップ。

 (実はハコモノ行政の隠れ蓑になってる実態とか判明しているし。)

 法案の実際の目的は、上中間層および中高齢層への媚態であり、端的な弱者切り捨て宣言だろう(税金の扶養控除分などは財政からすれば微々たるものであるが)。 つまりは中高齢層の借金作りは免罪、代わりに政治的意志の弱い若年層に厳しくすると言うのが趣旨だ。 政治学的にとても合理的である。

 若年層の分断統治が上手く行っていることと、左派が自壊しているために組織化の母体が提供できないため、新自由主義化からの止揚化(aufheben)は起きていない。

 さてこの法案、「働かざる者食うべからず」でタガをはめ直すというよりは、『適応障害へのレッテリングより派生した、実態とは遊離したイメージがメディアのおかげで先行、majorityの妬みにも似た感情を刺激、それにつけこんでの泡税+弱者いじめ』じゃないの?と思える。 世界的に見ても酷使されている日本の労働者は、そのことに腹を立てて雇用主に歯向かうわけでなく(そんなガッツはない)、むしろ屈折した適応をしている(サビ残肯定)。 そしてなぜか自らを中間層と規定し、下層と思われるものはとりあえず叩く傾向がある。 『弱い者達が夕暮れ、さらに弱いものを叩く』構図が見え隠れする。

 弱者の生活保護というのは現代の民主的な国家では義務であるが、それを家庭が代替していることを考慮して負担軽減を措置すると言うのがこれまで。 これは法の精神に則り妥当な施策ではないかと思うのだが。 その家庭の庇護能力を奪えば、家庭内暴力は増え、不適応者を放り出すコストを社会も負担する。

 「社会の不安定化」は実際には「社会の相互不信化」であり、

 ニート共依存関係の場合、外部者の介在が必要であろうが、この法案はそれを強制するということにもなるわけで、それはむしろ、ニートを抱える親に「お上が言うから」と放り出す正当性の根拠を与える意味もあるだろう。



現在の引きこもり業界は、
こうした政策論的な議論をする能力が低すぎる(私も含めて)。