「すべて自分の責任だ」――それは最終的にはおかしい認識だが、そういう「思い込み」なしには、行動が始まらない。 ▼思い込みすぎても動けないが。
「動物以下」
ひきこもってる人は、人間的であろうとしすぎるがゆえに、状態像としては「ペット以下=動物以下」になる(ペットなら、まだしも愛玩機能があったものを)。――近代社会では、そう考えるしかないのかもしれない。 ▼それを考えるのが、公共哲学とかだと思う。 弁護できるかどうか。
代わりに
社会生活は「逃げられない戦争」みたいなもので、ひきこもりは、どこまでも敗残兵。
戦えない人間が生き延びるためには、周囲の誰かが代わりに戦っている。
弁護闘争
人間は、無条件に自分を肯定することはできない。
労働は、それ自体が「自己弁護活動」になっている。
ひきこもりでは、それが破綻している。
永続審議
自分を弁護する戦いに失敗すれば、「間違っていた」に等しい。
現世で失敗した審議をやり直せるメタな場所はない。
生きてる限り、自己弁護の過重な任務から逃れられない。
こんなに不安定な身分はない。
後悔
「あの時、明確にこう言えばよかった」 「あの証拠を出せばよかった」
「相手の矛盾を放置してしまった」
――きちんと弁護できなかった自分に激怒している。
具体的にやり直すしかない。