殺意の対象としての非社会

ネット上で何度見たか分からない、一般のかたのにこやかな声。

 「ひきこもりやニートには、殺意に近い嫌悪感がありますね」



塩倉裕引きこもる若者たち (朝日文庫)』p.34より

 家族教室は、相談に来た親たちのうち何人かに声をかけ、定期的に集まる方式で始まった。(中略)
 ある日の「教室」には、六人の親たちが参加して、語り合っていた。(中略)
 「動き出すまでに一体、何年かかるのか。 いっそ交通事故で死んでくれたら、と思ってしまったこともあります」という発言には、数人の親が黙ってうなずいた。 その声を追いかけるように、「私だって、何度殺そうと思ったか……」という重い告白が続く。



兄が引きこもり、リアルで氏んでほしい

95 :(-_-)さん :2005/11/20(日) 07:48:15 ID:0ARI2cg2O
  ウチにも引きこもりいる
  いっそのこと自殺でもしてくれってみんな思ってる
  家族だから暖かくしろって身近に引きこもりが居ない
  人のきれいごとだと思う



「殺意を抱いている側が悪い」と、単に言えるだろうか。
「ひきこもるしかできなかった側が悪い」と、単に言えるだろうか。