『時間という謎』『〈現在〉という謎』通読

まず『時間という謎 (現代哲学への招待)』を流し読みして大まかな概念を把握し、それからこれを通読。議論の現状を知るのに勉強になったし面白かった。

ただ…、時間をめぐる議論としては何か根本的なところを逃したまま言葉遊びをしてる印象をぬぐえなかった。物理学者の方々が戸惑いがちに語る疑問がそのまま読者である私の疑問でもあった。

哲学側が出す「時間は経過しない」といった論点その他は――私たちが「時間から逃げられない」、その峻厳さに見合う議論に思えない。*1


私たちにどうしても必要な仕事は

  • 「物理学の議論が前提にする想定」の言語化と、「哲学が前提にする想定の言語化」をそれぞれ徹底し、その上でのすり合わせを行う土台を構築する

これだろう。

 結局のところ、「時間とはなにか」や「時間の矢とはなにか」をより精密に議論しその究明を進めるためには、提案内容の是非を科学的検証に持ち込む具体的算段をつけることが求められる。(『〈現在〉という謎: 時間の空間化批判』p.247、物理学者の筒井泉氏)

物理学者は物理理論の職人だがおのれの学問の《前提》を言語化する能力は職業的専門性で問われていない。哲学を名乗る側が、《それぞれの前提の言語化》という任務を強く負わされると思う。*2


私が数学の物理性というテーマに照準したのはまさにそのためでもある。物理学は数学言語に依拠して展開される、しかしその数学という言語そのものの存在論的特質についてはうまく吟味されていない。時間を捨象する数学言語そのものが物理学の制約と可能性にもなっているなら、そこから斬り込める学問的・技術的解決があり得るはずだ――という努力の回路。《物理学そのものの条件付け》をめぐる切り口の一つとして。


*1:たとえば耐え難い事件の直後に「お願いだから30秒巻き戻してくれ」と痛切に願っても絶対に叶えてもらえない――この時間体験の切実さに向き合ったとき、《時間は経過しない》といった主張に付き合う気にはなれない。

*2:その意味で近刊予定の『物理学の哲学入門 Ⅰ: 空間と時間』が楽しみだ。