生と事業を構造化する「当事者」概念

浅田彰黒瀬陽平へ――「『当事者性』の美学」の余白に》(REALKYOTO)より:

 僕の基本的な考えは、当事者性の論理は社会学的・社会政策的には重要でも、文化的にはむしろ障害になる、というものです。〔…〕
 女性−レズビアンの女性−アフリカ系のレズビアンの女性−不法移民のアフリカ系のレズビアンの女性…のことは当事者にしかわからない。この論理を徹底すると、挙句の果てには、「私のことは当事者である私にしかわからない」ということになってしまう。これはコミュニケーションの否定です。そもそも本当は私のことは私にはわからない。私にとって私とは謎であり、他者とのコミュニケーションの中でそのつど部分的に明らかになっていくものだったはずです。
 マイノリティの当事者性に配慮することが政治的に正しいというポリティカル・コレクトネス(P.C.)の論理がアートの世界でも強調された時期がありますが、そういう意味で僕は一貫してポリティカル・コレクトネスの過度の強調に反対し、むしろ、公衆(パブリック)、つまり「無関係な観客」が、知りもしない作家の作品を何の遠慮もなく批評できるという近代文化の原則を擁護してきました。「当事者性」にこだわらない、ある意味で無責任な、開かれたコミュニケーションこそ、文化にとって(そして本当は社会学的・社会政策的にも)最終的に最も重要なのではないでしょうか。浅田彰

 震災後の新しいポリティカル・アートである「当事者性の美学」は、80年代の日本において一時的な流行の後に潰えた「PC(ポリティカル・コレクトネス)アート」を、「当時とは違うかたちでやりなおす」ものであると言えるかもしれない。さらに美術評論的に補足しておけば、「当事者性の美学」は、「関係性の美学」(ニコラ・ブリオー) に対するオルタナティヴにもなりうるだろう。(黒瀬陽平*1

      • ニコラ・ブリオー「関係性の美学」への反論である、クレア・ビショップ「敵対と関係性の美学」(2004)は、原文PDFが公開されています。→このページの下のほうの、"Antagonism and Relational Aesthetics" をクリック。(ニューヨーク市立大学大学院センターのHPです)



あらためて、《当事者》という概念の拘束力の強さに驚いています。


日本では、1995年の阪神・淡路大震災*3および地下鉄サリン事件以降、PTSD とならんで《当事者》概念が隆盛を見せ、その関連で『五体不満足』(1998年)や『だから、あなたも生きぬいて』(2000年)も出ていたはずなのですが*4――それが触れられていませんね。
べてるの家』で「当事者研究」が始まったのが2001年、上野千鶴子・中西正司『当事者主権 (岩波新書 新赤版 (860))』出版が2003年という展開も、無関係と言えるかどうか。*5


こうした書籍や活動は、アートという区切りにはない、ということでしょうか。
ブリオーの『関係性の美学』原書が1998年刊なら、日本の文脈では《震災・サリン事件 当事者》の流れは、無視できないと思うのですが。


もちろんその前段としては、スガ秀美氏が繰り返し強調される1970年の華青闘があって(参照)――1980年代初頭の浅田彰氏の登場は、そもそもが日本独特の「当事者論」への抵抗として読むことすらできます。*6


黒瀬氏の原文に触れていませんので、詳細なことは分かりませんが、
今ここで反論してどうこうというより、《当事者》という日本語の概念をめぐって、いろんな分野の関係者と「揉んで」みたいというか、この語を議論の触媒にしたいです。*7


思想やアート以前に、この《当事者》という概念は、医療・福祉・マスコミ報道等の現場において、私たちの関係性や思考を構造化しています。浅田彰さんは「社会学的・社会政策的には重要」とおっしゃるのですが、そんな大枠だけでなくて、もっと日々の具体的な主体化(その技法)に関わったことです。


来年(2015年)は、阪神・淡路大震災および地下鉄サリン事件からちょうど20年でもありますし、《当事者》概念を考え直すチャンスではないでしょうか。*8



ひとつだけ反論めいたことを記すとすると――

浅田彰氏は「当事者性の論理」を批判されていて、これは今の私が「当事者」概念を批判することとモチーフが重なると思うのですが、
たとえば浅田氏が『構造と力―記号論を超えて』『逃走論―スキゾ・キッズの冒険 (ちくま文庫)を書かれた、そのことの影響関係や関与責任、あるいはそうした事情の全体が乗っかっていた当時の雰囲気やフォーマットがあるとしたら、


そうしたことについて、浅田氏には《当事者性》があると思うのですね。
その当事者性を分析するというのは、PC 的な「マイノリティ尊重」とはまったく別のモチーフとして、重要です。


《当事者的≒内在的》な分析を試みるというのは、経歴や肩書等には関係なく、(主観性や関係性の技法として)必要なはず。このモチーフが浅田氏から見えてこないのは、奇妙に思いました。*9


たとえば左派系の言説がダブル・スタンダードをやめられないのは、「自らの当事者性を内在的に論じる」というスタンスを持たないからではないでしょうか。これは喫緊のテーマだと思います。



*1:これは浅田氏による引用からの孫引きです。黒瀬氏の原文の掲載誌である『ゲンロン#12号』は会員限定販売のようで(参照)、私は入手できていません。

*2:私はブリオーの本は未読ですが――いろんなジャンルの方々との議論の共有には、ここで「美学」という語が持ち出される必然性の解説が必要に思います。私はよくわかりません。

*3:神戸では、『兵庫県立美術館』と『人と防災未来センター』が隣り合わせにあるのですが(地図)――美術批評家としての黒瀬陽平氏が「福島第一原発 観光地化計画」を論じることは、神戸への批判を含むものと理解しています。

*4:拙著『「ひきこもり」だった僕から』(2001年)も、この文脈にあります。

*5:1995年10月に逝去した古橋悌二へのインタビューが1996年にTV放映されていますが(参照)、これもアーティスト活動を、当事者性との関係で紹介するものでした。

*6:「ガキの心配するくらいなら自分の心配したらどうだろう。いや、心配ってのがいけないんだな。心配なんかせず、ガキにならって走ってみること。連中に追いつくくらい速度がついたら、あなたのトラウマもトラとウマに分かれて走り去っていくさ」(『逃走論―スキゾ・キッズの冒険 (ちくま文庫)』p.16)。▼日本特有のジャンルとされる「私小説」も、関係しているでしょう。

*7:哲学系の「臨床実践の現象学」でも、《当事者》という概念枠が、いつの間にか構造化の役割を担っているように見えます。

*8:最近は被災といえば東北の話しかされませんが、1995年の震災については、以下のような作品をすぐに思いつきます。▼『サブカルチャー文学論 (朝日文庫)』の大塚英志神戸在住筒井康隆などに言及)、『文学の断層 セカイ・震災・キャラクター』の斎藤環 ▼中井久夫が被災によって PTSD を発症し、ハーマン『心的外傷と回復 〈増補版〉』を訳した ▼丹生谷貴志も神戸の学園都市で被災し、いくつか論考を執筆 ▼村上春樹神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)』 ▼神戸のジュンク堂には、1995年以来ずっと「震災関連本」コーナーがあります。

*9:浅田彰氏はどこかで、ニーチェの「超人」を、《晒されてあること》と解釈しておられましたが――自らの経験や存在を《素材》として検証に差し出すこと、あるいは内在的な分析生成を生きてみせることは、超人的に《晒される》ことではないのでしょうか。