環境問題としてのメタ言説

メタ言説は、いわば各人の原子力発電みたいなもの。


私は、わけが分からぬまま10代前半に苦しみ始め、30年近くたってようやく何がおかしいかを理解できた。とはいえそれは長期の専門的研究の成果であって、それをそのまま説明しても、震災前に脱原発を呼びかけるようなもの。みんな「それなりに便利」と思っているし、このメカニズムで恩恵を受ける医師や学者は、どんどんメタ言説を推進する。現に、それなりに経済が回っている。


長期的視点ではかえってコストがかかるし、このまま数千年、数万年と維持するのは無理だろう。でも現在の政治を彼らが牛耳る以上、彼らに従わなければお金を稼げない。


さいわい私は、メタ言説という核心に気づけた*1。 あとはお金を稼がないと、なし崩しに死ぬしかない。手を尽くしても本当にダメなら、それは私の能力不足と、時代の選択なのだろう。カネも権力もなく、有形無形に「早く死ね」と言われ続けることに、もうあんまり耐えられそうもない。


そして、このまま泣き寝入りするつもりもない。



*1:原理を理解できない人たちは、努力すればするほどおかしくなる。何がおかしいかに気づけないまま。