自由と嗜癖

「自由にさせる」ことが、かえって本人から自由を奪うことがある。
再帰性という主体の自己拘束については、そういう厄介さがある。 「自由を奪われてもいいではないか、それも本人の自由だ」というかもしれないが、それが本人の思い通りとばかりも言えず、かつ周囲には負担がかかる。――社会全体としては、放任することでかえって高いコストがかかる。
Social work 的介入はしんどい労働だが、それをお互いが心がけることで、全体としては安いコストで済む可能性がある。 かつ、苦痛に対する原理的処方箋になっている。
苦痛の機序といえる自由な模索(と見えて、じつは硬直した嗜癖パターンを反復しているだけ)を放置して、「その結果得られる依存症」だけを処方箋にするのは、マッチポンプといえる。