映画 『萌の朱雀』(GYAO、放映中)

なんというか・・・、昔の8mmフィルムを思わせる質感とか、まったく無名の人たちのどこでもない映像を逆に極上の瞬間に見せたり*1、・・・・・この監督の持っている「現実」への手触りは、自分とすごく近いと感じる。 80年代に僕が横目線で見ていた同世代の女の子は、たしかにあんな感じだった*2
地元民同士のミーティングの場面では、「どこでもない場所で誰でもない人がしゃべっている」感じがすごく出ていた*3手塚治虫の描く田舎の人のように、内面がない*4。 いっぽう、プロの俳優である國村隼にのみ、固有名と内面があるように見える・・・。
ストーリー云々はよくわからないが、場面場面の質感で、何度も見たくなる。映画でも小説でも理論でも、「これは自分に関係のあることをしゃべっているのだ」という感じがまったくしない感じがずっと続いているので、「何か自分に近いリアリティがここにある」というだけで、稀有でしょうがない。
でも、たぶんそれだけでは、「自分の郷愁」を実体化して終わる。



*1:行商人や子どもたち

*2:監督は同世代だし、自分と同じ関西弁というのもあるか。

*3:離人症っぽい、「薄皮一枚の向こうに現実がある」感じ

*4:橋本治の指摘を、斎藤環が紹介している。 『解離のポップ・スキル』p.78