《する》ことへの留保と、「居続けることのもたらす信頼性」

 このことの意味は、〈する〉ことへの留保である。 (略) 何もしないということが〈する〉ことなのだという逆説をここからとり出すことができる。
 さらにもう一つの思想が内蔵されている。 それは〈いる〉ということの力である。 いること、居続けることのもたらす信頼性である。 そのような信頼性があってはじめて支援は支援としてその実質を満たす条件が整うのである。 (p.29-30)

同じことを、精神科医としての役割に自己規定した上で、斎藤環が語っている。

 私は精神療法における有効性の主要な源泉が、“いま、ここ”における「治療者の現前性」にあると考えています。 (『ひきこもり文化論』 p.141)

利用者側(サービスを受ける側)の態度の問題でもあると思う。
支援者の《存在》が招き寄せるものがあるとして、
どんな注意深さを期待するのか。
あるいは支援者を、「サービス提供者」として消費するのか。
事前に思い詰めていたイデオロギーを確認し合って終わるのか。
偶発性は、本質的な要因たり得ないだろうか。
――ここには、「政治的」というべき思想の緊張や、力関係がある。