「脱自分化」

「大人になる」ということは、偶然性の世界を受け入れ、自分が特別でないことを受け入れていくことである。これは、つらいことである。 (中略) 彼らは単に無気力なのではなく、「特別でありたいが、どのように特別であるのか、どのように頑張ればよいかわからない」のである。彼らは、脱社会してでも脱自分化したくないのだ。

引きこもりホリック(中毒)*1
だから引きこもりをやめろといわれても、新たな居場所がない、ということは、私の消失を意味するために、命をかけて死守する

「脱自分化できない」「引きこもり中毒」*2というのは、重要な視点だと思う。
他者の渦の中に巻き込まれると、あっという間に《自分》がなくなる…。
社会的な《文脈》の中に、自分を位置づけることができない。(内的要因ばかりではない。不安定就労の問題。)
「文脈」と「自己」とのマネジメント的な交渉関係が結べなければ、持続的な人間関係を結ぶのも無理だろう。関係性に時間軸が入ってこれない。これが就労をもきわめて困難にする。



*1:ひきこもり状態の「嗜癖性」については、すでに斎藤環氏が指摘している。

*2:中毒性(依存症)というと、その没頭において「自分を自分でなくする」ところにキモがある気がするのだが…(アルコール依存等)。▼「自己消失型」の依存と、「自己死守型」の依存があるということだろうか。