「フリーター漂流」について

職場の人権」MLより、許可を得て転載する。(要旨のみにしようかと思ったが、労働問題に暗い私が恣意的に引用する以上の意味があると思うので)
強調は引用者。

ビデオの感想:

私は映画ファンであり、また、社会の問題は個人の受難として現れる、と思っていますので、3人の体験を描いたあの番組は、2度目なのにとても感動しました。重い荷物をもって雪を踏んで愛知に向かう「はしかけさん」の姿が忘れられません。

ビデオから確認した状況の認識:

漂流する工場フリーターは、次の3つの要因の相互作用のうちに構造化されている。
(1)手先の器用さ(これはよく誤解されますが決して熟練ではありません)や握力だけが必要な単純労働に職業的生涯を終始させる「ハンズ」 を、キャリアー展開の社員とは峻別される階層として拾い捨てる現段階の企業の労務管理。なおここには、製品の寿命の短期化に促された生産の「セル方式」化が、ひとまとまりの作業の委託化を可能にしている関係も認められる。
(2)そのような労働力の調達も含めて、およそ「人材」の売買をビジネスチャンスとすることを許すようになった新自由主義の労働政策。派遣する労働力を「タマ」とよんではばかりない「ベンチャー」経営者の台頭。
(3)そして私の持論、所属企業や雇用形態の違う労働者の労働条件には全く無関心な、労組を労組たらしめる「労働条件決定に関する規範性」の意識を著しく欠いたユニオンリーダーたち。

討論の視点:

こう考えると、ビデオのなかの人びとの問題をなんらかの法律から見た「違法」の問題と考えるならば、それはいささか的はずれであり、対策をもっぱら法の整備に求めるとすれば、それはきわめて不十分になる。問題は「違法か否か」ではない。現実に「偽装派遣」や「不法な派遣」はあるにせよ、あのような人の使い方は合法でも告発されるべきなのだ。また、有期雇用の限定とか均等待遇とか法的に整備されねばならない領域はなお大きい(拙著『リストラとワークシェアリング (岩波新書)』参照)にせよ、賃金水準、作業ノルマ、要員などの問題は、ひっきょう労務管理対組合機能の間で決まる。そこに注目し、かつ上述の「構造的な状況認識」を考慮すると、問題はやはり許されぬことを撃つ「正義」の労働運動の可能性にかえってくると思う。若者の組合離れは必然的とはいえ、だから泰山おじさんの呼びかけにどうしても共感せざるをえない。

組合の戦略のひとつとして最後に提起したかったこと:

組合の可能性を、いまビデオに見る状況だけに限って考えるなら、私が提起したかったことは、古来から港湾など非熟練・一般労働者の組合運動の一角にあった組合が労働供給事業」を営むということだ。労組のナショナルセンターや、電機連合などの産業別組織が、人材請負企業が行っているような事業を営む。組合に登録した労働者を、規定された労働条件で派遣し、職場で不当な扱いを受けることはないかチェックを続ける。苦情も組合が聞く。観光労連が添乗員についてこれに似た機能を営んでいる。もちろんいくつかの困難はあるが、夢を描こう。もし山端さん、はしかけさん、當野くんらがそうした組合員であったら! そうは考えられないか?


 熊沢誠

  • 「キャリアを積む形で仕事をしている」のか「消費されている」だけなのか
  • 労働組合が、(雇用機会提供は無理にしても)労働供給事業をできないか
  • 「労働条件決定に関する規範性」意識の欠如