「トラブル順応能力」こそ

実はこうした疑問は、「慣れ」を強調する斎藤環氏や、「いい加減」を提唱する玄田有史氏についても感じている。
お2人の提言は、≪雇用環境への順応≫という至上命題をめぐって、「やりたいこと」や「出会い」といった要因には触れるが、実際に参加した労働現場での、≪たたかう≫というファクターには、触れてくれていないのではないか。
引きこもり状態に苦しむ当事者が、万難を排し、必死の思いで就労しても、このような労働環境しかなく、そこに順応するしか許されないとしたら。 専門技能のなさとトラブル耐性の低さゆえに、「隷従する」しかないとしたら。 引きこもり系の人は、人間関係が苦手だから労働組合系の“共闘”に関わることも難しい。
――戦えないまま労働現場に復帰しても、「孤立して消費される」存在でしかあり得ないのではないか。

    • 主観的に「それでいい」という納得が生じればそれで充分なのだけれど。そもそも「仕事をする」とは、何らかの形で自分が「消費される」ことであるだろうし。