「事業運営」というモチーフ

プロジェクトを運営してゆく、という課題設定から、≪経営学≫に興味が向いている*1
「経営者を批判する」ときに、対案も同時に示すのが必須だとしたら、自分自身に経営上の能力が必要なのではないか。
私たちは、自分自身が≪経営者≫にならなければならないのではないか。文字通りの意味だけではなく、活動の運営や、「個人的な努力の経営者」として。


努力してもどうにもならない、すなわち「社会階層において最初から脱落している」という「階層化」「不平等」というのが最近よく見かける議論だが、脱落している側として発揮すべき努力に、最初から≪事業運営≫という要因が欠けてしまうとしたら。
当事者主権 (岩波新書 新赤版 (860))』の「事業体(生活自立)」と「運動体(社会的合意形成)」を思い出してもいい。



*1:実は先日の三脇康生さんとの会話でのうれしい一致点もここだった。