ジレンマ

記事を読んで感じたのは、「一般読者向けの記事を書く」ことの難しさでした。記事を書いたのではない私がこんなことを言うのは僭越ですが、たくさんの情報を、前提を共有しない、興味すらほとんど持ってくれない読者に向けた短い文章に転換する・・・・。書き手のジレンマを思わずにいられなかった。
そこで思い出したのは、先日の『サンデー毎日』記事に引用された私の発言についてエクスキューズを入れたエントリです。
これまでに私は、コミュニケーションの齟齬、一言でいえば≪誤解≫に基づいたトラブルに繰り返し見舞われてきましたし、ニートや引きこもりの問題は、ある種の人々の激情を逆撫でする大変物騒な話題です。「一方的かつ感情的に見えてしまう擁護論は、政治的にかえってまずいのではないか」と思った私は、発言のディテールや言葉遣いのレベルまで、細心の訂正を心がけたのですが、それがもし記事の信用そのものを損ねてしまったら・・・・。難しいです。
これは実は、「共感主義の限界」にも関わることです。ひきこもりやニートという存在を、感情レベルで支持することを訴えても、感情レベルで反論されて終わってしまうのではないか。直接的に「差別や攻撃をやめてください」という努力は一方で必ず必要ですが、それと同時に、もっと普遍性のある問題設定をして、それとの関連において「結果的に」ひきこもりにも恩恵がある、という地道な取り組みや戦略も要るはず。 → それが現在のプロジェクトになっているわけです。
しかし、メディアによっては「ひとまず反論しておく」という明確な態度明示こそが重要な局面もあるのかもしれず・・・・。むずかしいです。