取材

26日の夕方6時〜10時*2、この事件に関連し、ある新聞社のインタビュー取材を受けてきました。


そのときにものすごく神経を使って確認したのが、「どのようなニュアンスの記事になるのか」ということ。 「生活苦の果てのやりきれない事件」なのか、「20年も引きこもった甘えの果てに親を殺した最低男」なのか。
記者の方は、「ワイドショーのような記事にはしない」と約束してくださいましたが、現場のかたがいくら誠意を誓ってくださっても、新聞記事の発表までにはやはり「企業の論理」――収益確保や、役職上の上下関係など――が絡むのは、致し方ないのだと思います(記事は、いわば新聞社の「製品」ではないでしょうか*3)。


いや、それだけじゃない。
私は家族を殺そうと思ったことは一度もありませんが、
たとえば(例えばですよ)、「今回の事件はやりきれない」 「高齢化の果ての生活苦は他人事じゃありません」 という私のコメントが載ったとします。 私は容疑者と同い年の引きこもり当事者(経験者)であり、かりに記者ご本人にそういう執筆意図がなくとも、差別的な読者ならば 「コイツも将来親を殺すんじゃないか」 「そもそも引きこもりというのはそういう連中なんだろ」 と考えるに決まっている。


先日、あるイベント*4で当事者の皆さんにお会いする機会があったのですが、皆さん、あの事件がどのようにマスコミに取り上げられるのか、極めてナーバスになっていました。 当たり前です。 展開次第では、またぞろ「引きこもりは犯罪者予備軍」という世論展開になるのですから…。
私は、実名を晒したことで、すでに多大の迷惑を家族にかけています。 私の発言が、「引きこもりや家族への差別意識*5」を強化することに使われてはたまりません。




――と、こうした私の懸念をすべて記者の方にお話申し上げました。
ご理解を示してくださり、
どのような記事になるかがまだわからないので、私の名前やコメントが掲載されるかどうかは、保留にさせていただきました。







*1:各マスコミの記事タイトルの付け方に、すでに微妙な主張を感じます。

*2:4時間、マシンガンのように話し続けていました

*3:失礼な言い方だとは思いますが、やはりこうしたシビア(というか現実的)な目線は必要なんだと思います。

*4:また報告します

*5:引きこもりは、「差別問題」として考えると見えてくることが多いように思います。