件名 : NOLAの佐藤でーす。 (送信日時 : 2004年10月20日 16:47:58)

この前の育て上げネットはお疲れ様でした。
上山君の現役ひきこもり意見VS俺のような現場の人間の意見、みたいな掛け合いは聞く側にとっては結構面白くて反応がよかったんじゃないかな?
で、上山君がはてなダイアリーと言うところにこの前の育て上げネットのことの感想を書いてあると、プラッツの田中君*1から聞いて、早速みてみました。
これをみてると、なんだか俺が捕虜収容所の看守のようなイメージで書かれているような気がする(別に頭には来てないけどね(笑)のと、まああの短時間の中で共同生活の全貌をわかってもらうことには無理があると思うので、こりゃ事実とは違うぞー!っと思うところだけ反論しときます。
なんか書き込みも出来るみたいだけれど、オラあまりパソコン得意でないのでメールで返します。


オフィシャル発言と言うことですが、オラはそういう難しいことはあまり考えて話していません。
っていうか俺の発言が世の中で問題になるほど偉くはないんで(笑)
そんなことを考え始めたら自由に話せなくなるだろうし、結局公務員や政治家のような意味不明な言論しなきゃならなくなるだろうし、それじゃ誰も救えない。
やっぱ自分の想いが少しでも多くの人に伝わって、一人でも多くのひきこもりがあなたがいつも悩んでいるようなスパイラルから抜け出し、幸せになるためにどうしたらよいかの具体的方法を伝えたい力になりたいだけなのだ。


で次、その発言の「通所型だと云々・・・」のあと、小さな強制力とありますが、なるほどそういう捕らえ方もあるのかと感心しました。後の戸塚ヨットスクールのスパルタへつながっていくのですが、共同生活の実際を見ていない人が大抵思い浮かべるのがこの「スパルタ」なんだよね。
でも多くの共同生活があのようなスパルタを否定しています。
実際、全国の共同生活舎のネットワークである青少年創生連絡協議会(青創協)が20年前に生まれたんだけれど(もちNOLAも会員です)これは、戸塚のスパルタで多くの死者が出たときに、それに対してNOを唱えるために出来たものです。
じゃあスパルタじゃなければ何だ?と思われるでしょう。我々の方針は昭和2〜30年代の田舎の大きな家族というイメージです。
例えばNOLAだと寮生は佐藤家の一員として生活するわけです。
だから父ちゃんが子供に家の仕事の百姓を手伝えっていうのは、当たり前でしょ。でなきゃ喰えないわけだから。
じゃあ子供が家の手伝いをすることが果たして強制労働になるのだろうか?
それと規則正しい生活と作業で汗を流すことは、彼らのリハビリなんです。
リハビリなんだからつらいのは当たり前。でもその先には明るい未来と自由が待っているのだから数年も辛抱はしようがないんじゃないのかな?何も一生ただ働きするわけじゃないし。
それよりも一生引きこもって自分の人生を悲観して生きるのか、自分で飯を食って自分で幸せを勝ち取る生活を選ぶのかの選択だと思います。
リハビリはつらいからやめときなさいと言うのが彼らのことを考えていう親切なのか、いや今はつらいけど必ずよくなるから頑張れって言うことが親切なのかということだと思います。
でもちろん俺は後者が親切だと思っているわけです。
実際共同生活を卒寮し、社会へ復帰した子達は口をそろえて「最初は嫌だったけど、あの時強制的に連れて来られなかったら、一生ひきこもりのままだった。決断した親に感謝している。と口にしています。


だから上山君の言ってるのって、山で遭難して眠りそうになっている人間を助けるために、「眠るな!起きろっ!」って顔をぶつことは、「虐待で法律に触れる!」って言ってるのと同じだと思うよ。
だから法的な保護は十分にした上での話だけれど、一時的な拘束や強制労働(もちろん程度の問題ですよ)によって多くのひきこもりを救える(ここが大事、犯罪者でもごみ扱いでもない彼らを普通の生活が出来るようになってもらうということが大前提)


で、これが洗脳なら、ひきこもりも、ひきこもりを選択するような洗脳を受けてきた(洗脳だから本人にそういう自覚がないのは当たり前)のだから、逆洗脳で、まっとうな判断が出来るようにするのはアリだと思う。(もち洗脳なんてうちじゃしていないけどね)


でもね俺、共同生活が唯一無二の支援方法だと思ってはいない。ただ社会参加率をみてもらえれば、ずば抜けた数字であることがわかってもらえると思う。
ただ、ひきこもりの立ち直りに関してはBESTであっても、経済的(援助者、被援助者双方の)問題や、スタッフの負担の大きさ(家族なんだから当然24時間労働でプライベートがない)などの問題がまだまだいっぱいあって数が増えていかないんだ。だから後継者育成のためにも多くの人に認知してもらうべくワーワー言ってるんだ。
でも共同生活よりもっとすごい援助方法が出来たならもちろんそれを取り入れたいと思っている。
なぜなら援助者として彼らにとってBESTな方法を探究していくのは当然だと思うから。


それと最後に、30歳以上がウザイと言った事について。
上山君が気にしてるんならごめんね。
でもこりゃ彼らと付き合って正直思うことだからしようがないんだ。
だからと言ってもう援助方法がないとか、切り捨てているわけではないよ。
いくつになってもチャレンジはできると思っているし、
NOLAでも共同生活以外の方法で受け入れている。
ただ、ウザイという言い方をもう少し変えて一般ピープルにもわかりやすく言うと、オラの技術的、精神的キャパシティが出来ていないといったほうが正確かもしれない。
と言うのは援助者との年齢が近く、あるいはそれ以上だと、彼らのプライドが(なんでこんな奴に言われなあかんねんという反発心)妨げになって、素直に言葉を受け取ってくれなくなるんだね。あと体力と健康(生活習慣病とかで)が本当にうちの作業についていけない可能性が高くなってくる。それにいつも言ってることだけれど、NOLAでの立ち直り期間はひきこもり期間に比例するのでものすごく時間がかかってしまうと言うことなのだ。(時間はかかるのであって、立ち直らないと言うことではない!)
それとそれらの精神的重圧にスタッフが耐えられるかどうかいう問題。共同生活は彼らとがっぷり四つに組んで取り組むのが仕事なので、寮生にも逃げ場がないけど、スタッフにも逃げ場がないんだ。
その辺の問題点が俺の中でまだ解決出来ていないので、30歳までという制限を設けているだけです。
だからオラがもっと偉くなって君のようにカリスマ的になれば高年齢でも受け入れできるようになるかもね(笑)
実際にタメ塾の工藤さんの所じゃ40代、50代の人も受け入れているそうだから、これは出来る出来ないというよりそのスクールのカラーだと思ってもらったほうがいいと思います。


まあ結局、君がひきこもりの代弁者として立ち上がったように、オラも不登校から共同生活を通じて立ち直り、それでその方法を使って彼らの一助となるべく立ち上がって頑張っているわけで、方法の是非を論じること自体あまり意味がないと思っています。そこのところを理解していただけるとうれしいです。
早い話。どんな方法でも、彼らが前向きに幸せに生きていけるようになればそれでいいんじゃない?っておもう。


ではまた、ゆっくりと語りましょう。NOLAにも遊びに来てください百聞は一見にしかずですから・・・。


                 NOLA 佐藤 透
             

*1:「ドーナツトーク社」田中俊英氏(「淡路プラッツ」のスタッフもされている)。 最初のエントリー時には「○○君」と伏字にしていたのですが、田中氏ご本人の許可を得て、メール原文のままに戻しました。