厳しさと勤勉さ

≪厳しさ≫の指針が見えない。 それがいちばん悩ましいかも。


浅田彰氏が淀川長治氏について、「愛ゆえの厳しさ」という言葉を使っていたのを強く覚えている。 → 「愛がないから厳しくなれない」。


「ひきこもり」に対し、安易な説教で接そうとする人は、それ自体「甘えている」と言えないか。 介入的な口を挟むなら、最低限現場の取材や書籍の研究ぐらいすべきだろう。 調べもしないで「説教しときゃいいんだ」って、怠慢すぎないか。


なんであれ「理論」というのは、「厳しさのガイドライン」か。