魅惑的「ひきこもり学」?

すごくうれしく、唸らされたのが次のご指摘

 (……)そのために上山さんが文化論、社会論、経済論、コミュニケーション論、精神分析などなど、実に様々なレベルの議論に一人で何役もこなしながら触れるというとても大変な作業をなさっている。

そう、たしかに…。


ニート」という、おそらくこれから社会問題としてクローズアップされるであろうテーマがある。
もし「ニート」が、「ひきこもり」よりも数が多く、それだけ社会問題として深刻であり得るなら、「ひきこもり支援」にはあり得なかった社会的バックアップが、「ニート支援」にはつく可能性がないか。
私見ではひきこもり」は「ニートの最悪形」であり、つまり「ひきこもり」について有効であり得る議論や政策は、同時に必ず「ニート」について有効であり得るのではないか。 → 「ニート」に対する注目の高まりは、「ひきこもり」にとっても喜ばしいことであり得る。


ひきこもり」を研究するとしたら、現在選び得る学部は、「臨床心理学科」か、「社会学科」ということになるのだろうか。 → もっと学際的にする必要がないか?


といっても、≪学≫を作ることそのものに、僕自身がまだ魅惑されていないわけか…【そしてこの発言自身が誰をも魅惑していないとしたら?……(萎)】。
「魅惑せねばならない」という課題の設定は、まだ魅惑に成功してはいない。