理念的メッセージには経済的保証が必要なのでは。

宮台真司氏の発言をいくつか眺めているのだが、ヒキコモリに関連するテーマが非常に多い。「性愛」「リテラシー」「動機づけ」「脱社会的存在」「強度」云々。
氏は最近「天皇」を焦点にしているようだが、たとえば「脱社会的な存在」も、「天皇陛下万歳!」というマジックワードを口にすれば、「社会内部化」してもらえるのだろうか。

  • 単純な話、「天皇陛下万歳を叫べば仕事をやる」(叫ばなければ仕事を奪われる)となれば、叫んでしまう人は大勢いるのではないか。
    • これはそのまま「派閥」のメカニズムだと思う。帰属意識というのは、単に精神的なものではなくて、経済生活を具体的に支えるものだ。「離反しては食い扶持がなくなる」となれば、おいそれと反抗はできない。


  • 経済的自立のためには精神的自立は必ずしも必要ではないが、精神的自立のためには経済的自立がどうしても必要だと思う*1。経済的に自立できない人間が精神的自立だけを求めようとすると、やっぱり死ぬしかなくなってしまう。
    • 「狂信的な帰属を誓うことによって食わせてもらおう」というのは、追い詰められた人間にとってはあり得る選択肢ではないか・・・・。
    • 「あえて」だろうが「ベタに」だろうが、政治的には見分けがつかないと思う。


  • 「自前の経済的ネットワーク」という課題が重要だと思う。



恐ろしいことだが、最近、保守とリベラルでは、「保守」の言説の方に元気な強度が宿っているように思えてならない(宮台氏の選択にはそれ以上の意味があるんだろうか)。それとも、そう感じるのは僕自身の気持ちの変化でしかないだろうか。
経済的な逼迫と理不尽感が、「とにかく他者には非寛容になれ」という無条件の機運を生んでいませんか・・・。 → 「寛大になれ」というメッセージは、「お前のことを経済的に保護してやる」というメッセージとセットでなければ無力なのではないか。


いずれにしても、「議論」が必要だ。なのに、議論のできない「言論弱者」というのが引きこもっている人の基本的性質であって。発言したと思ったらあまりにもトチ狂ったことを言っていたり。絶望的・・・。
個人の empowerment*2 のためには、やはり≪言語訓練≫がどうしても必要だ。それは知識人にとっての「言説の無力さ」という課題とは別に、個人レベルの有力化のためにどうしても必要な訓練だ。
当ブログでは何度かこの話題を取り上げてみたが*3、なかなか具体化できずにいる。うーん。



*1:たしか『重力』の出発点だったのではないか。

*2:権限を与えること、能力(実力)をつけること。有力化。

*3:ページ上のボックスから「言語訓練」で検索してみてください。