立場の逆転?

 「もっと取り組みたいという意欲を失ったなら、その仕事からは手を引くべきでしょう」 (カルロス・ゴーン村上龍との対談で*1

 先日、「やりたい事をやるのは生き残りの戦略だ」という話を(村上龍13歳のハローワークISBN:4344004299 からのメッセージとして)取り上げた。
 僕が以前アルバイトをクビになったのは、「前向きなやる気がないなら辞めてくれ」ということだったんだと思う。僕はその仕事のディテールを愛することができなかった。手を抜くことはできなかったが、それは被害者意識に満ちた空しい苦行でしかなかった。
 企業勤めをするある友人は、「職場の同僚は生活費を稼ぐためにしか仕事をしていない」と怒っていた。「言われた事しかしない。奴らは給料泥棒だ」。――いっぽう、言われた側の連中がどう思っているかは容易に察しがつく:「アンタら、なに熱くなってんの?」
 やりたくもない仕事だからこそ期待もせずにイヤなことでもやれるのか。自分の取り組みを愛せるからこそコストパフォーマンスの悪い努力にも時間とエネルギーを割けるのか。
 自分の生きるモチベーションを仕事にではなく私生活に求めている人が大多数だと思うのだが、その自分を「給料泥棒」とは思わないシニカルな人が生き延びて、真剣に思い悩んでしまう人が職場であぶれたり引きこもってしまったりするのか*2村上龍とゴーンはそうではない、むしろベタにやりたいことをやる姿勢こそが企業や個人の生き残りに必要な要因なのだ、というわけだ。 → ここには熱い精神主義(と見えるもの)とシニカルな便宜主義との立場の逆転が起こっている。
 現場の方々、とくに人事課や管理職の皆さんのご意見を伺ってみたいものだが・・・・。



*1:元旦のNHK夜9時からの番組で

*2:ひきこもっている人は、自分が「給料泥棒」と呼ばれてしまうことを過剰に心配しているように思うのだがどうだろう。