私としては、当日記コメント欄に持ち込まれたトラブルが

 ①普遍的な問題に発展できると思われる場合
 ②個人的に深く共感した場合
 ③介入的に関わることに意義があると思われる場合

以外には関知しませんし、「自称ひきこもり」の主張すべてに常に全面同意するわけでもありません。


この問題を強いて私なりに普遍化すれば、「ひきこもりにおける、怒りの感情への取り組み」「特にその言語化の難しさ」「個人の怒りの政治性」といった問題でしょうか。私が「言語訓練」と言うときには、そういうことも考えているのですが・・・。


(これは、仕事としての「引きこもり支援」という問題とも関わるので、また考えます。)