地域通貨

 僕はお金がこわい。お金で仕切られる人間関係がこわい。そんなところから「別種の設計図をもった決済手段」としての地域通貨に興味を持ち、京都ではLETSの立ち上げに協力し、そのシステムのオンライン版であるGETSにも関わろうとした。
 が、京都での試みは左翼派閥的な体質に嫌気がさしたことで事実上脱退せざるを得なくなり、ほそぼそとLETSゲームなどはしていたがLETSそのものの社会的展望にはかなり懐疑的になってしまって、GETSへの興味も薄れていた。先日はNAM内部のトラブルが某地域通貨MLを通じて流れて来もし、あまり言いたくはないがますます興ざめしていた。
 そんなところに先ほど、新しい情報が。 http://www.picsy.org/
 2年前に「相対値貨幣」と呼ばれていて、ずっと音沙汰がなかったものだから放置されているのかと思っていたが研究は続いていたらしい。
 PICSYピクシー)自体の理解や評価は今後考えるとして、僕の地域通貨への期待は、一貫してその「心理的な」効果にある。日銀マネーを通じての経済生活や人間関係に苦痛を感じる人でも、決済手段の設計図をいじれば、なにかもう少しマシな生活態度があり得るのではないか。それは「気合を入れて生きろ」とかの精神論ではなくて、いわば無意識的な決定要因としての貨幣――人間の社会生活の結晶――それ自体はただの紙切れだったり金属だったり帳簿上の記録でしかないのに――の設計図に手を入れることで、「そうとは知らないがやっている」のレベルで変化を起こせないか、ということだ。
 ひきこもりを考える時に、彼らを単に社会順応させればいいのか、という問題に突き当たる。単なる社会復帰だけでいいのなら、「仕事しろ」で話は終わる。ひきこもりを「炭鉱のカナリア」と見立て――つまり「社会がおかしいから、敏感な人は引きこもって苦しむのだ」――れば、分かりやすくは左翼の社会変革イデオロギーに巻き込まれる。どちらにも、「参加意欲を刺激するような社会設計図の案」はない。僕はそのアイデア地域通貨、とりわけLETSPICSYに見たのだったが。
 いずれにしても、新しいアイデアは対話の中からしか湧いてこない。現在「ひきこもり対策」として実施されていることは全て「働いて日銀マネーを得よう」だと思う。そうではない何かのアイデアをいつも探しているのだが。