「セーフティネットの構築(1)」(斎藤環)

これまでのさまざまな議論の中から、ここでは社会保障に頼らず、互助努力に限定したアイデアのみが記されている*1
個々のアイデアの検証には、心理・人文的な理解だけでなく、経済的・法的な理解が必須になる。個人の継続的な社会参加については、心理面だけでなく、制度的な理解や整備が必須だ。
以下、関連することをいくつかメモしてみる。



*1:たまたま今回そうしたのか、それとも斎藤環自身の社会思想やひきこもり理解がそういうアイデアに限定させたのか、今後の検討課題。

「作られる社会」(梅林秀行)

ひきこもり経験を持ち、現在は『情報センターISIS 』スタッフを勤める梅林秀行氏の記述より(強調は引用者):

 そうして(社会参加を)強く願えば願うほど、イメージされた社会は若者の頭の中でますます確固とした存在となっていきます。確固としつつ、さらにまた膨らんでゆくのです。ここにおいて、若者のイメージする社会は現実から離れ、それ自体で自律した内容となります。若者の中で社会は変容し、彼のイメージの中にのみ存在する社会として、自律的に動き始めるのです。この段階でもはや、若者が求める対象は現実から離れ、彼らの想像の中で浮かぶ「内なる社会」となっています。 (中略)
 「内なる社会」は、自身の抱く嫌悪・自責・劣等感・恐怖の度合いに応じてさらに姿を変え、重力を増していきます。ここに至って、若者は自らが創造した「内なる社会」によって、激しく抑圧されることとなります。「内なる社会」が行動や思考をも束縛するようになるのです。自らの行動原理や価値観が、「内なる社会」を拠り所とするほどに。そして、若者が社会への参加を願えば願うほど、「内なる社会」はさらに動きを激化し膨張していく悪循環となります。(『引きこもり狩り―アイ・メンタルスクール寮生死亡事件/長田塾裁判』p.156-7)

 そこで重要な存在が第三者です。家族やごく親しい知人以外の人間といい換えてもよいでしょう。 (略)
 良好な隣人としての第三者とのコミュニケーションの一つ一つは、若者のイメージの中で「内なる社会」を「作られる社会」へと変化させます。そして、新たにイメージされた「作られる社会」は、現実の住人である第三者の存在を前提とする以上、現実の社会との接点を持っています。ひきこもった若者と第三者の相互交渉の産物が、「作られる社会」なのです。そしてまた、肯定的な感情を伴うコミュニケーションであるがゆえに、若者は自ら願うものへの主体的、積極的な関与が可能となります。選択は若者の自由意志にゆだねられるのです。 (『引きこもり狩り』p.170-1)

単に「順応する」のではなく、本人の内側からの「創る」という要因が語られている。ここではひとまず、心理的な要因だ。
そう語る本人自身が交渉・契約の主体であり、「積極的関与」自体がバトルに巻き込まれるものであるという話は語られていない(ややユートピア的)。しかし、本人の内発的なリアリティを無視しては、継続的な社会参加は不可能であるという重要な事実が、ほのめかされている。


以前のレポートでは触れなかったが、横浜でのイベントの際、やはりひきこもり経験のある岡本圭太氏*1が、次のように語っていた(大意)。

 『ひきこもりカレンダー』の勝山実さんは、「自分で稼いだ1万円も、親からもらった1万円も同じ」というのだが(参照)、違うと思う。自分で稼いで自分の好きなものを買えるのは、やはりいいものだ。

「自力で関与したことで生まれた社会的な力」。そういう要素の、心理的な重要さ。





「制度を創る」(大村敦志)

家族の契約化」を論じておられた大村敦志(おおむら・あつし)氏に、『生活のための制度を創る―シビル・ロー・エンジニアリングにむけて』というご著書がある。
そのアマゾンのレビューに、以下のような説明が(参照)。

 本書の主題は、このような「制度」を「日常生活のために創る」にはどのようにすればよいか、である。児童虐待防止、共同子育て、マンションの建替え、新しいハウジング形態、リサイクル、共用自転車、NPO地域通貨といった身近な題材を用いて、それぞれ、「問題の所在」、「立法の対応」、「実例の紹介」、「検討と考察」を叙述している。

 第2には、第1の特長にもかかわらず、非常に強い理論的関心が基礎となっていることである。本書全体を貫くのは、「社会へのまなざし」と「制度構想への関心」であり、これは(広い意味での)民法学の伝統と理論を受け継ぐものであるといえよう。

 地縁や血縁といった伝統的な人々の結びつきが損なわれて久しい。しかし、人は周囲の人々や社会から完全に孤立して生活を営むことはできない。現代社会が抱える課題を克服し、より快適な生活を営むために市民自身の手で制度を創るにはどのようにすればよいのか。このような問題を考える上で有益な本である。



同書について、id:paco_qさん

 これまでは「制度」の構築は主として公法学(とくに行政法学)が議論し,民事法はアドホックな紛争解決の法というイメージが強くありました。これに対し同書は,現場から出発してシステムのあり方を模索する場合,あるいはより望ましいシステム(積極的な制度)を構築しようとする場合には民事法の役割が大きいことを指摘し,具体的な事例を豊富に提示して民事法による制度設計のあり方を検討しています。



制度を、単に「順応する」ものではなく、「自分たちで創意工夫して作る」ものと考えること。それは、単に弱者を特権視するものではなく、関係者全員を、交渉・契約の《当事者》とするものだと思う。