死亡事件続報:「代表理事 暴行は否定 「他の入寮者に危害恐れ」」(読売新聞)

正直に言えば、この事件を聞いたときの最初の感想は、恐怖や怒りと同時に、罪悪感だった。
ガラス戸棚に食器をたたき投げ、壁を足で蹴破り、天井にはおかずがベットリ・・・という暴れ方をしていたかつての私*1は、「手に負えない」存在だったはず。 自宅の中だった私は一方的に「暴力をふるう側」で済んだが、強圧的な人間に囲まれた見知らぬ場所だったら、やっぱり殺されていたのではないか。
逆に言えば、僕を殺さずにいる我慢を家族に強いていたわけだ。
「だからいま暴れている人は改心しなさい」という説教は、何の役にも立たない(それは徹底的に逆効果)。 というか、私がいま暴れずに済んでいるのは、「改心したから」ではない*2
本人が暴れていたか、暴行があったかどうかも含め、今回の事件の詳細はまだ分からない*3。 「どのように報道されるのか」という報道姿勢にも留意しつつ、続報に注目しようと思う。





*1:拙著 p.99-100 に、暴れていた当時の日記を書き写した克明な描写がある。

*2:この言い方が何重にも問題含みであることは承知している(現に私は変化している)。 ▼このあたりの事情について精緻に考えることこそが重要なのだと思う。

*3:自分で取材することも検討したが、いくつかの情報や事情から、すでに断念した。

ひきこもりに関連する(と思われる)死亡事件が相次いで発覚している。

2004年10月の事件もそうだったが、年齢からくる絶望が気になる・・・





「戸塚受刑者が29日出所 ヨットスクール事件、指導復帰の意向」(中日新聞)

石原慎太郎氏:「失われようとしている子供たちのために

 生徒の死亡事故*1の責任を問われ服役していた戸塚宏氏がこの四月に刑期を終えて出所してくる。戸塚氏は服役中保釈を申請することなく、あくまで刑期を満了した上で悪びれることなく以前と全く同じ所信で、歪んでしまった子供たちの救済再生のためのヨットスクールを再開運営していくつもりでいるという。
 私は彼の支援の会の会長をしているが、事件への冷静な分析と反省も踏まえて彼が再開するヨットスクールで、多くの子供たちを救い蘇らせていくことを期待している。

信じられないほどのタイミング。
永冨奈津恵氏の言う、「支援施設の最低限のルール作り」が、喫緊に重要だと思う。





「アメリカ精神医学会「DSM」執筆者の製薬業界との金銭的な繋がり」(id:macskaさん)

  • DSM-IV とその一部改訂版 DSM-IV-TR の執筆に関わった170人の専門家について調べたところ、そのうち95人(56%)は何らかの形で製薬業界とのあいだに金銭的な繋がりを持っていた。
  • 気分障害」(躁鬱病など)と「統合失調症及び他の精神病性障害」部分の担当者に限れば、全ての執筆者が製薬業界とのあいだに金銭的な繋がりを持っていた。

権威ある情報の生産者が、その情報によって収益を大きく左右される団体から収入を得ていた*1。 ▼「ひきこもり」の周辺で言えば、製薬会社が「社会不安障害」という呼称を強く推すことにも、似た事情があると思う。 当blogでは何度か触れているが、ひきこもりという状態像のコアを形成する事情については、薬はほとんど何の役にも立たない。

    • 「役に立つ」とすれば、それは「クスリで心をコントロールする」という話で、また別種の議論を用意する必要がある。 ロボトミーと同じで、ある種の薬を乱用すれば「悩まなく」なるだろう。 ▼国家や支援団体がそのような服用を強制すれば重大な問題だが*2、本人がもはやクスリしか望んでいないとすれば、どう考えればいいか。

不登校・ひきこもりの周辺関係者は、「医者の治療主義」には極端に敏感だが、「製薬会社の薬物主義」には、寛大に見える。 「製薬業界の利益のために薬漬けにされるかもしれない」という懸念についてはもう少し問題化すべきだと思うが、逆に言えば、「どうしてクスリをやめなければならないのか」が、問われるのだと思う。 ▼クスリをやめたって、もう苦痛に満ちた人生しか待っていないのかもしれない。



*1:読者からの事後的なフィードバックによって、情報の信用度がチェックされるというのは難しいのだろうか。 あるいは、「どの製品を使っても同じだから、名前を出してもらった会社の勝ち」とか?

*2:これも現場からすれば、かなり細かいエクスキューズが必要な説明なのだと思う。