「絵画の著作権」

某ブログにて、ある絵画作品を発見して感銘を受けたのですが、「絵に関しては、著作権ってあるのかな…?」ということが気になり、検索。▼著作権は「死後50年で消滅する」とのことなので、逆に今後は古くて好きなものをどんどん載せてみようと。
右は、パウル・クレー「金色の魚」(1925)。



≪「生き生き」をめぐって≫

  • 仲正氏の「生き生き」批判は僕にとってどうしても必要なものだったが、『諸君!』は読んでいないし、事情がまだよく見えていない。 【追記:「双風舎からのお知らせ」】
    • 細かい議論は今後の課題にしたいが、ひとまず、「生き生き」のディテールを細かく分析する必要はあると思う。 たとえば右翼的な「生き生き」と、左翼的な「生き生き」はスタイルが違うはず。 ▼ジジェクがどこかで、自分の著作のモチベーションについて、「ナチズムとスターリニズムとが同じ《全体主義》として混同されたまま使われていて、それがすごいストレスだった」と語っていた(大意)。 同様の作業が必要と思われる。

先日触れたとおり、僕が「生き生き」に辟易するのは主にフリースクール系の文脈だが、かといってそのような「生き生き」言説の需要が尽きたわけではない。

この事件では、どうやら「どうしても学校に行かせなければならない」という親の切迫感が悪く作用したように読める。だとすれば、一時的にでも「不登校は選択するもの」という説得が必要かもしれない。
最近の不況と「ニート・ひきこもり」といった現象、若年者の就労不安などから、子供を抱える親たちの「脱落不安」が、以前より高まっている気配はないだろうか。価値規範としていくら「閉じこもっていてもいい」と言っても、現実にそれが「優勝劣敗社会の中での野垂れ死に」をしか意味しないとしたら、「大丈夫ですよ」は気休めにもならない…。*1
「生き生き」がどのように必要でどのように批判されるべきかは、個別ケースごとに是々非々で判断してゆくしかないのではないか。何よりも、そうした言説の歴史的位置付けに敏感であるべきではないか*2。 【主に、不登校・ひきこもり業界内に向けたメッセージ】



*1:しつこく付言すれば、斎藤環氏は「ひきこもる権利」を、過激なまでに肯定している(インタビュー時)。 それは、「いつか社会復帰してくれる」という留保すらないものであり、東京シューレよりもはるかに過激な「離脱肯定」であると言えるのではないか(価値規範として)。

*2:「歴史性」の重要さについては、知人からの示唆が大きい。

「現状で企業に「いわゆるネオリベ」的方針をやめろというのは、多くの企業にとってつぶれろというに等しい」(山形浩生氏)

内藤朝雄山形浩生id:dojin稲葉振一郎の各氏が、非常に興味深い議論をしています。 ここをきっかけにもう少し勉強を進めねば…。



田中康夫×浅田彰×宮台真司:「『不安』の時代から『自律』の時代へ」

浅田氏の「自分自身を芸術作品として作り上げていく」という指針は興味深いが、「禁止のないところで欲望が自分を律する自律」というのは、本当に厳しい倫理だと思う。▼私はそのような倫理を生きるためにも、いちど非合理で無条件的な禁止を自分の中に措定する必要を感じるし、じっさい現在はそのようにして生き延びている。その禁止ゆえに、内面バランスと「欲望の道をゆく」ことをかろうじて継続している。

  • このトークに関連する宮台氏のエントリー「小泉自民党大勝に見る「バカの壁」」は、勉強を進める上で必読だと思う。
    • 「不安な者が縋る乗り物こそが不安を再生産する」逆説、「幸せになろうとしてアーキテクチュラルな権力を翼賛する」逆説。▼ポストフォーディズム下での「憤怒による憤怒原因の強化」というジレンマは、しかしそれではどうしたらいいのやら…。


「残りの人生を賭けることへの投資」

エステサロンや飲食のためになら何十万円も払う文化があるのに、「ひきこもりのため」には、「お金が回って当然」という感覚がまだ育っていない。人の一生、あるいは人の生き死ににすら関係する話なのに。 ▼需要は確実にある。しかし、それを満たすに足るサービスが何であるのか、業界全体がまだ暗中模索である…。



「最も幸せな日本人像は 30代、都会暮らし、専業主婦」【元記事(PDF)*7】

 アンケートでは、幸福感について、「非常に幸福」を十点、「非常に不幸」を〇点として、「あなたは何点になると思うか」という「幸福度」をたずねた。この結果、五点が最も多く25%。続いて七点が20%、八点が18%、十点も5・5%おり、全体としては幸福と考えている人が多いことが分かった。一方で、四点以下は13%にとどまった。
 この結果を約三十項目にわたって分析したところ、性別では、女性の「幸福度」の平均値が六・五一点に対し、男性は六・二七点で、女性の方がより幸せと考えている人が多かった。
 年齢別では三十代(平均値六・六点)が最も高く、次に二十代(六・四)が続いたが、四十代以降は加齢とともに不幸になり、六十代では六・二点に落ち込んだ。この結果は、海外の大学が行った調査と比べると逆の現象。アメリカやイギリス、ドイツでは三十歳代が最低で加齢とともに幸福度が増しており、若者に甘く高齢者に厳しい日本社会の傾向を表したともいえる。

「8点以上」が4人に一人もいる…。 「4点以下」は7人に一人より少ない。
性別や年齢別の結果については、「有意の差」と言っていいんでしょうか。