発言訂正

こちらの講演会*1は、いつもより聴衆の皆さんの年齢層が低め。小中学生の子供をもつ親御さん*2が多いということだったので、「本当に深刻になった30代以上の事例」と、「まだ10代の不登校事例」とを比較、というより往復しながら話してみた。


そこで、私は次のような趣旨の発言をしました(大意)。

 ホームレスは2万5000人ほどですが*3、対策費は全国で1億8000万円。いっぽう、ニートには231億円の予算が計上予定。家を失ってより深刻であるはずのホームレスより、親に扶養されているニートのほうに予算がつく。これは非常に政治的な判断で、「完全に脱落してしまった中高年(ホームレス)」より、「将来性のある若者(ニート)」に予算をつけるほうが、将来の税金増にも役立つし、国民を説得できるということでしょう。つまり日本では、「本当に脱落してしまったら、予算もつけてもらえない」ということではないでしょうか。

この「1億8000万円」ですが、
これはこちらの記事にある「ホームレス就業支援事業」のことを指したつもりで、だから「1億1800万円」の誤りなのですが、さらに記事をよく読めば、これは「新規事業としてはこれのみ」ということで、ホームレス対策予算の総額ではない。それでネットで調べたところ、この資料が見つかりました。
「ホームレス対策予算」として31億9700万円が計上されていますが、「ニート支援」が「就労支援」であることを考え、「III 就業機会の確保」と記されている箇所だけを単純に足し合わせると、「10億8300万円」となります。
★というわけで、講演では「ホームレスの就労支援対策費は10億円あまり」などとすべきだったわけで、情報として著しく間違っていたことになります。会場におられた方々がこの私のBLOGを見てくださっている可能性は低いのですが・・・・、ここに記して訂正させていただきます。ごめんなさい。
さてしかし、この10億円は多いのか少ないのか。



*1:関係者の皆さん、ありがとうございました。

*2:全員が不登校の子をもつ親御さんということではありません。 ▼私が呼んでいただく講演会やイベントでは、「ひきこもり」という言葉の入った演題から、「参加したことを知られたくない」と思われる方も多く、・・・・・。

*3:生田武志氏によれば、これは現場の支援団体の多くからは「信用されていない数」とのこと。夜回りなどをする現場の方々の考える「妥当な推定数」は、「3〜4万人」とのことです。

「手続き上の環境整備」と、「そこにすら近づこうとしない人」

友人が教えてくれた話で、少し気になっていることがあります。
関西に、保守系の討論番組として有名な『たかじんのそこまで言って委員会』というのがあるのですが、そこで名古屋の野宿者にインタビューするシーンがあったとのこと*1。 するとそのマイクを向けられた男性は、非常に政治的にしっかりした言葉遣いで、「住むところをくれ」「仕事をくれ」「生活資金をくれ」云々といった趣旨の演説をぶったそうです*2。 → カメラがスタジオに切り替わると、「あんた何様や!」と大ブーイングになったらしい。


同番組では「ニート」が取り上げられたことがあり、以前その視聴ルポをアップしたのですが、出演者たちのブーイングの最大焦点は、「我々の血税を連中のために使うな!」ということでした。この番組は、税金の無駄遣いや理不尽な天下りを批判したりもしているのですが、それと同じ≪義憤≫として、「ニート対策費」や「演説する野宿者」に怒っていたのだと思います。
ずいぶん昔、あるTV番組でアンケートをしていて、男女同数に「ホームレスになりたいと思ったことはありますか?」と質問。女性は全員が「いいえ」でしたが、男性のかなりの人数*3は「はい」。 → 「はい」と答えた人たちに理由を尋ねると、「仕事や家族への責任を負わなくていいから」。やはり嫉妬や羨望がある。
窮状を知らない人たちからすれば、「ニート・ひきこもりや野宿者は、みずから望んでそういう状態になっている」という理解になっている。 → 「自分で好きこのんでやっているくせに、そのうえ支援のための税金拠出を要求するとは何事か!」ということでしょう。


そこで、戦略上の問題として具体的に考えたいのは、政治的要求(というか努力目標)としては、「カネよこせ」ではなく、「努力すれば何とかなるような手続き上の環境整備をしてくれ」という形を取る必要があるのではないか、ということ。 【これはもちろん、「脱落しても復帰できる」というあの課題です。】
「弱者に追い込まれている理由」と、各ケースにおける「努力のしどころ(焦点)」は、障害者・ひきこもり・野宿者などでそれぞれ違っているわけですが・・・・、「予算を引っ張ってきてナンボ」というような発想では、どうしようもないのではないか。
以前にも触れましたが、「手続き上の環境整備が必要」というのは、生田武志さんの「カフカの階段」の問題だと思います。つまり弱者サイドとして、「俺たちを“吊り上げてくれ”とは言わないから、せめて“努力すれば登れる階段”を用意してくれないか」というような・・・・。


そしてそこで、またしてもあの問題に還ってくる。
社会参加や、「生き延びること」についてすら自発性を持てずにいる(つまり「この世を選ぶことができず怯えている)引きこもりは、やっぱりいかなる支援からも取り残され、置き去りになるしかないのではないか、と。



*1:番組サイトの資料室によると、「第78回:2005/2/6 放送:ホームレスを考える」だと思われます。

*2:友人の主観もあるかもしれません。観ていた方、詳細希望。

*3:パーセンテージは失念

リアリティ

漂ってて見つけた過去ログ【701】より。

大企業に勤めていた時、俺が不正を見つけ、追求した対象に自殺された事があります。しかも、公衆の面前で。東京FORTで酒を飲んでいる時に携帯電話で通報されましたが。死にたければ死ねばいいのであって、それは決定的に個人の自由であると思いますよ。ただし、それによって迷惑を被る人間がいるのです。死なれたら、どのような制度の下においても遺産相続放棄しない限り債務を親族に対して追求していかなければならないではないか。こうなりゃドライに割り切るしかない。
生い立ちにはいろいろあるかも知れないが、俺かて中小事業主たる親父から相続するだろう借金が、まだ10億弱も残ってるんだ。死んで何とかなるなら死んでるさ。でも、それで困るのは銀行だし親族だし社員だし、俺が大企業にいたままでは絶対一生返せない、と踏んでさっさと辞めた。慶應大学時代に、俺と同じ境遇にいた奴も、十何人かいた。二人ほど自殺したらしい。もう一人は破滅寸前だ。
バブルがこういう連中を量産したのかもしれない。だが、それがどうしたっていうんだ。俺は俺だ。何も関係ねえぜ。

本当に切込隊長氏ご本人の書き込みなのか、あるいは誰かのフィクションなのかよくわからないけど、無視できないよこういう主張は。
変な人生論よりよっぽど元気出る。