「存在する」ことは、「属する」こと
「カフカの言葉」より:
「sein」という語には、ドイツ語で二つの意味がある。 《そこにある》と、《そこに属する》。
Das Wortbedeutet im Deutschen beides: Da-sein und Ihm-gehören. *1
ひきこもっていても、「属している」。
生き延びるためには、どこかに属さなければならない。
属する場所がどういう事情にあるのか。
社会運動系の人たちは、参加させろと要求する側の自意識ばかりで、自分たち自身が「参加させる側」としてどういう体質を持っているかを分析しない(ひたすら歓待することは分析ではない)。 自分たち自身が、他者にとっての《環境》であることに気づくこと*2。 その意味での当事者意識を持つこと。
順応するとは、環境の暴力に同一化することだ。