「存在する」ことは、「属する」こと

カフカの言葉」より:

 「sein」という語には、ドイツ語で二つの意味がある。 《そこにある》と、《そこに属する》。
 Das Wort bedeutet im Deutschen beides: Da-sein und Ihm-gehören.*1

ひきこもっていても、「属している」。
生き延びるためには、どこかに属さなければならない。
属する場所がどういう事情にあるのか。


社会運動系の人たちは、参加させろと要求する側の自意識ばかりで、自分たち自身が「参加させる側」としてどういう体質を持っているかを分析しない(ひたすら歓待することは分析ではない)。 自分たち自身が、他者にとっての《環境》であることに気づくこと*2。 その意味での当事者意識を持つこと。
順応するとは、環境の暴力に同一化することだ。



*1:同じ文章は『実存と人生』では、次のように訳されている(p.18)。 「《sein》という言葉には、ドイツ語で二つの意味がある。存在、それに、彼のもの、という意味」。 これでは意味が分からない・・・。(『城 (新潮文庫)』訳者あとがきの教示で気づいた。)

*2:ひきこもっている人も、家族にとっての「環境」だ。