中島敦 『山月記』

トークラジオ『Life』プロデューサー長谷川氏が、引用しておられた部分。(一部現代的表記に改めました)

人間であった時、俺は努めて人との交わりを避けた。人々は俺を倨傲だ、尊大だといった。実は、それがほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。もちろん、かつての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとはいわない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。俺は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、俺は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。俺の珠(たま)にあらざることをおそれるが故に、あえて刻苦して磨こうともせず、又、俺の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することも出来なかった。俺は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによってますます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。俺の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。