日垣隆『世間のウソ (新潮新書)』からだという引用より孫引き。
要するに、警察はつい最近まで家庭内の暴力=傷害犯罪に対し、見て見ぬふりを決め込んできたわけですね。[…]
前世紀までなぜ家庭内の傷害事件に警察は介入しなかったのでしょうか。
それは、「民事不介入」という幻の原則を、警察庁も警視庁もマスコミもまったく疑うことなく信じてきたからです。[…]
民事不介入の原則とは、 (1)みかじめ(紛争の調停をヤクザに任せる慣習)と、 (2)家父長に警察機能を代行させていたことを内実としています。
この原則は確かに、戦前の絶対家父長制のもとでは生きていました。 家父長には勘当権、処罰権、離婚権、財産処分権などが独占的に与えられていたからです。 精神病者を座敷牢に幽閉することさえ、所轄の警察の許可があれば可能だったのです。
しかし、戦後は憲法と民法(一部)が生まれ変わり、家父長制がなくなります。 しかし、にもかかわらず戦後も「民事不介入の原則」が亡霊のごとく生き続けてしまったのです。
なぜでしょう。
旧態依然の警察がまったく頭を切り替えることができず、この分野で怠慢を極めた(出世のための点数にならなかった)からです。 民事不介入なる原則が戦後もずっとあるようなフィクションのもと、少なからぬ商店街ではヤクザ社会を利用し、家庭内では暴力を放置し続けたのでした。
「家父長に警察機能を代行させていたから、警察は介入しなかった」。
だとすれば、関係が対等になったなら、警察が介入するしかない。
家の中での、実際のちから関係は・・・