「無神論者の祈り」出典について

Mさんというかたから、たいへん参考になる以下の情報を(メールにて)いただきました。
ありがとうございます!
出典は、どうやらヘーゲルだったようです。


澤田章『ヘーゲル (センチュリーブックス 人と思想 17)』に、次の引用があるとのこと(p.201)。

 毎朝、新聞に目をとおすことは、一種の現実主義的な朝の祈りである。 わたしたちは、世間にたいする態度をどうとるかを、神や世間の実態を手がかりとして決める。 新聞に目をとおすと、神や世間の実態などによって得られる安心と同じ安心をうることができる。 つまり、ある問題について、一般にはどう考えられているかということがわかるのである。
ホフマイスター編『ヘーゲル発展の資料』所収、「イエナ時代の箴言」)



レヴィナス実存から実存者へ (ちくま学芸文庫)』 訳者あとがき(西谷修)より。

 だれもが世界に埋没しだれでもない「ひと」となって単調さだけを呼吸する世界とは、その「終焉」の世界における個人の様相なのである。 ヘーゲルは、新聞を読むことが現実主義者の朝の礼拝だ、といっていなかっただろうか。 (ひとはそれと意識することなく見えない他者の支配を引き受け、他者の支配を強化する。 新聞を読むときひとはそうしているとハイデガーは言っている。 現存在を「ひと」と化すその「日常」の非人称性、中性と均等性と公共性を特徴とする共存在と「ある」との関連はここに根拠をもつ。)