10日で38歳になりました。
ここ一週間に相次いで『時をかける少女』と『嫌われ松子の一生』を観に行き、いずれも強く動揺したのは、重要な経験になりました*1。
いわゆる「当事者」という立場で社会的な活動を開始した私にとって*2、「自分の境遇への安易なナルシシズム」は、ずっと気になっている問題です。 幸福とか不幸とかは相対的なものであって、たとえば私の境遇は、1億人以上いるといわれるストリート・チルドレンと比較すれば、「恵まれすぎている」でしょう。 「当事者」というポジションからの問題構成や提示は、「ナルシシズム」とは別の形で行なう必要がある*3。
「誕生日」という、ナルシシズムそのものが問題になる日のエントリーとして、少し考えてみました。
追記::おことわり (2006年8月16日午前9時ごろ)
これより以下のエントリーについては、自分自身の不快感があまりに強烈なので、削除しました。
ごめんなさい。
文章は保存してあるので、個人的に反省材料にしたいと思います。
*1:映画を強く推薦してくれた友人たちに感謝!
*2:ちょうど1年ほど前に、私は「属性当事者を卒業する」という話をしています。