「規範との付き合いかた」

私がTV番組の文字起こしを公表し、自分でTV局に連絡を取って著作権についての意向を確認した件について、「なんで自分から連絡してんだバカ!!」(大意)という忠告を、ある知人から頂きました。 「なるほど、ヒキコモリ的だね」と。
知人が指摘してくれたのは、そこで問題になっていた著作権そのもの*1というよりも、「規範との関係において柔軟な考え方をとることができない」という私の性向についてでした。
――私はこれまで、「交渉と契約における無能力」とか、「トラブル耐性の低さ」とかの話を、ひきこもりの核心的モチーフとして強調してきましたが、そもそも私がこうしたモチーフに注目したのは、自分自身がそうだからです。
規範との関係における逸脱を極端に恐れていて(強迫化している)、それがトラブル耐性の低さや、柔軟な対応能力の低さに直結している。――このことは、交渉主体としての私を極端に弱体化させています


私が、宮崎学氏の『法と掟と』で最も印象的だったことの一つが、「アウトローこそ法を重視する」という指摘でした。

 法の内にありながら、あたかも法の外にあるかのごとく行動するには、法を熟知していなければならない。 熟知しているといっても、司法試験を受ける学生のように、法の形式的態様と法解釈について細かく知っておかなければならない、ということではない。 そうではなくて、それぞれの法律規定の機能、社会の中でどのような意味をもち、どのように働いているのか、実質的で社会的な機能を知らなければならないのである。 (p.15)

ひきこもる人は、法の逸脱を最初から狙っているのではなくて、むしろ「規範を遵守しなければ」という意識が強迫化してしまい、結果的に逸脱してしまう。――だとすれば、最も喫緊の課題の一つは、「規範との付き合い方を柔軟化すること」ではないか。 そのために必須なのは、「法の学習」なのではないか。
「臨床的な取り組みとしての法律学習」というのは、あながち空疎なお題目ではないと思う。

追記: 井出草平さんより

 諸個人は合法的なものに属していると同時に違法的なものにも属している。
 非行や逸脱は補償的に(合法的な手段で望むものが手に入らなかった時に)行われるという考え方が見られる。

おもしろい。
「逸脱論」というのを調べないと・・・。





*1:その後いただいた解説を読んでも、著作権自体には、難しい問題が残っているのだと思います。