「医療カテゴリは、リソース配分を効率化するためだけにあれば良い」
上記チャット大会でのmacskaさんの発言より。
医療化によるスティグマは避けたくても、医療自体は避けられない人がどうしてもいる。すると、障害という扱いを受けることによるスティグマを隠避するために障害というカテゴリから逃れるのではなく、障害というカテゴリにまつわるスティグマ自体を解消するほうが良いということになる。
医療カテゴリというのは、ほんらいリソース配分を効率化するため「だけに」あれば良いはずです。*1
ひきこもりの医療化というと、すぐに「ひきこもることが病気で、ひきこもりを治すことが治療」と思われてしまうけれど、そういう定義にしないように当事者運動が引っ張る必要があると思う。 医療が解消すべきは、人の状態ではなく人が感じている苦痛であるべき。*2
疑問(検討課題)としては、とりあえず次の2点。
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- 「社会的ひきこもり」*3という状態像にとって、「治療主義に陥らない医療」、つまり「自由度を高める医療」とは、実際にはどんなものか。
- 自発的な社会的行為が消えてしまっている「ひきこもり」に、「当事者が主導権を握る」ようなことは期待できないのではないか。 ▼逆に言えば、あらためて「当事者の政治化」が要請されている。 【「政治化せねばならない」という規範的要請ではなく、苦痛緩和のための手続きとして。】
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- 参照:「日本は2035年頃まで慢性的な医師不足」(id:hotsumaさん)
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