単独的な当事者性*4、「名付けられていない問題の当事者*5」

  • みずからの当事者性を、社会的に流通し得るカテゴリーに明け渡さない、つまりみずからの個別特殊性(どんどん変化する)に即した当事者性をそのつど構築する必要もある。▼「不登校」「ひきこもり」など、当事者性を構成する大きなカテゴリーは政治的なものが動くために必要だが、各人の「当事者性」のディテールは、つねに「大文字の不登校」「大文字の引きこもり」からズレている【誰かがマスコミ等に登場し、「代表」として振る舞うときの違和感もここにある】。▼焦点の変動はあるが、各人は複数の問題に「当事者」的に帰属している。しかし、「自分は○○の当事者なんだ」という鏡像的自己確認(緊急避難)は、一時的にしか機能しない(慢性化すれば単なるナルシシズム)。
  • 「既存の文脈でカテゴライズされていはいないが、モチーフとしてみずからの切実さを核に据えている」という研究(取り組み)はあるはず。つまり「○○の当事者」と名指すことはできないが、「名付けられていない問題の当事者」ということがあり得る。▼語り手(書き手)が言葉を組織するときのスタイルの問題。