「慣れる」の功罪

「慣れる」というだけなら、「まぁこのままでいいじゃないか」という現状追認(肯定)の順応主義が否定できない。同調圧力への屈服。 「これではまずいのではないか?」と思い始めた途端、周囲の世界との不協和音が始まり、生きづらくなる。雇用に絡んだ恫喝が始まる。 それでも続けざるを得ない苦情申し立ては、最初は心身症のように始まるかもしれないし、そもそも本人にも自覚されないかもしれない。しかしその違和感は、放置すべきなのか? このあたりに、倫理的要請の出自がある。
既得権益世界に内部化されて生きるためには、「これではまずいのではないか」といった疑問符には、気付かなかったことにする方がよい。ところが、≪脱落≫した途端、「考えざるを得なくなる」。思考は心身症のように始まる。
駄洒落めいて言えば、「いい加減」は、「良い加減」でもあるし、「いいかげんな・・・」ということでもある。どちらの問題意識も必要。そのバランスというか、緊張感が難しい。 ▼何に関してはルーズでよく、何に関しては譲歩してはならないのか。