「働け!」 → いや「コミュニケーション重視」 → やっぱ「とにかく現場へ」

これまでの良心的・民主的ひきこもり支援においては、「働け!」という暴力的説教への抵抗という意味もあり、「まずは(支援施設などで)コミュニケーション能力を身につけ、それから就労へ」という、2段階の道筋が重視された。拙著にもこの記述がある*1
しかし、就労には必ずしも(「分かり合う」という意味での)「コミュニケーション能力」は必要ない。あるいは、支援関係や仲間内関係において経験される「コミュニケーション」と、仕事において必要な言説能力は同じではない。仕事においては、「分かり合うコミュニケーション」ができなくても、「打ち合わせ」や「交渉」が出来ればいい、というかそっちの方が重要。
玄田有史氏は横浜イベント時、「コミュニケーション能力というのは、相手の言うことが分からなくても『ええ、ええ、そうですね、ええ』とうなずける能力のことだ」と言って会場の笑いを取っていたが、これは実は、「就労に求められるとされるコミュニケーション能力のハードルを下げる」という意味があるとも言える。 → 「コミュニケーションができなければ!」とノルマ的に考えすぎて、かえって何もできなくなっている当事者への助言として意味があるのではないか。 ▼「まずコミュニケーション、それから就労」というステップの作成が、かえって社会参加のハードルを高くしている現場の事情がある。
関西のある支援関係者は、「コミュニケーション能力については、『挨拶』が出来さえすればればいい、あとはとにかく実際に現場に入ってみること」と言っているらしいが、同じ趣旨だろう。
つまり、「甘えるな、働け!」という道徳的説教の問題ではなく、プラグマティックな支援方法論の問題として、「コミュニケーションなんて出来なくていいから、とにかく現場に入ってみな」という勧め*2。 入ってみれば、そこにはイレギュラーな出会いや≪驚き≫もあるかもしれない。
私自身、フリースペース的な“居場所”(およびそこでの「雑談」)が苦手で、しかし設定課題が明らかな「ミーティング」や「講演」なら元気にできる、と以前から不思議に感じていたのだが、今回もらった上記整理は、個人的に非常に納得できた。



*1:p.149

*2:そこに「飛び込む」モチベーションこそが難しいのだ、という議論は重々承知の上で。当blogではむしろその「難しさ」の議論ばかりしてきた。