交渉=仕事

ドゥルーズの対話集『記号と事件』は、原題を『Pourparlers*1というが、これはフランス語で《交渉》という意味*2
フランス語初級者の私には、この「pourparler」が、「pour(〜するために)*3」と、「parler(話す)*4」に分解できることがさらに興味深い。 「交渉」という語が、「話すために」という含蓄を持つこと。

 英語の negotiate*5 という言葉の語源、 negotium は古代ローマでは仕事そのものを意味していたそうです。*6



仕事は、「制度に従う」だけでなく、制度化の作業とかかわっている。
交渉が制度をつくり、また交渉は制度に縛られる。
物理理論を作ることも、小説を書くことも、「人が従うべき制度を(文字として)創る」ことだ*7
《制度》概念は、単にすがるものではなく、実際に組み替えて試行錯誤する作業場にあたる。 「当事者」とは「制度の関係者」だし*8、意識自体が《制度》として成り立っている。
《現実》という語を持ってくるととても扱えないが*9、《現実》の代わりに《制度》と言ってみる。





*1:あえて日本語の音で読めば「プーフパハレ」

*2:「記号と事件」では、知的に洗練されてるっぽく見えるかもしれないが、臨床的な緊張感は失われる。

*3:英語の「in order to」

*4:英語の「talk」「speak」

*5:「交渉する」

*6:小飼弾38歳までに知ることになる、22歳の自分に教えてあげたいたった1つのこと」より。 ▼ネットで検索してみたら、こちらの商品説明に同趣旨の説明が書かれていた。:「The word "negotiation" is rooted in the Latin negotium, meaning "not leisure"(as in, that which is not leisure is business).」 訳:【「negotiation(交渉)」という語は、ラテン語の「negotium」から来ており、「余暇ではない」(余暇ではないということはビジネス)を意味する。】

*7:いや、この場合は言葉を使い分けたほうがいいのか。でも私にとっては、《制度》をめぐるこのような考察こそが臨床的効果をもつ。

*8:その意味では、関係性の関与者全員が「当事者」だ。

*9:同様に、「恋愛」「セックス」という語も扱いようがない。 「直接扱う」ことに向いていない。

逸脱と制度化

 ここには、次の二つのことが示されている。 第一に創造とは、先行する規範を逸脱することによって行われる。 「正しいこと」が自動的に強制されるような社会では、新しい創造が――アーキテクチャの創造者の予期しないかたちで――なされることはあり得ない。 だがもちろん、同じように規則を踏み外しても、狂気や誤りと位置付けられる場合だってあるだろう(行き過ぎた創造)。 逸脱が新たな創造と認められるためには、その逸脱が社会によって承認され、反復されることによって制度化され、新たな規範になる必要があるというのが、第二のポイントである。 規範の逸脱と制度化というこの問題がより明確に現れるのは、言語の使用という局面だろう。 大屋雄裕自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅 (ちくま新書)』p.172)



人間の意識とはそもそも逸脱として成立する*1、という視点が欠けている。 逸脱をもとに再構成のプロセスを論じないと、逸脱を忌避することとしての「再帰性の苦痛に取り組めない。(単なる順応主義者には、ひきこもりを論じることができない。)
いきなり社会制度や規範との関係で逸脱を論じる姿勢と、臨床プロセスとして逸脱を論じる違いがここにある。



*1:ドゥルーズが「それ自身における差異」と論じているものを、私はそのように理解している。私はその差異をねじ伏せて社会参加しようとしすぎたことで社会参加できなくなった、という理解でいる。この「差異をねじ伏せる」という心の動きは身体化していて、なかなか改善できない。